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2010年02月 アーカイブ

2010年02月01日

冷たい雨

 「冷たい雨」といえば、私にとってはユーミンだが、最近はELTだったりするのかな。「冷たい雨にうたれて町をさまよった」という歌詞を頭に浮かべるだけで身も心も凍りそうになるが、今日はまさにそんな空だった。今日の打ち合わせは、表参道。電子書籍を出していただけないかと、とある作家さんに声をかけたところ、「一度お会いして考えたい」というお返事だったので、顔あわせに出かけたのだ。

 ネット全盛時代、電子書籍の作家さんと「一度も面識がない」ということも珍しくない。打ち合わせはほとんどメールで済んでしまうし、校正も入稿もすべてメールを使うから、会う必要がないのだ。効率がいいといえば確かにそうだが、それでもやっぱり、直接顔をあわせた相手は違う。今日お会いした作家さんは、「大丈夫だとは思ったのですが、やはり直接会って、どういう方か知りたかったものだから」と言っていた。それは確かにそうだろうと思った。ということで、今年はできるだけ作家さんのところに赴き、お会いしてお話するようにしようと思う。すでにお世話になっている方も、これからお世話になる方も、できるだけ直接お話するようにしていこう。

 夕方から、校正を進める。岸田裁月さんの「殺人博物館」、次号のテーマはいよいよ連続殺人犯だ。岸田さんは、一般には謎の人物と言われているが、実は何度かお会いしたことがある。作品も非常に特徴的でユニークだが、ご本人は作品以上だ。以前この日記にも「本物の天才をみた」と書いたが、まさにその通り。このことを、先週お会いした方にお話したところ、「どこを見て、天才と思われたのですか」と質問され、言葉に詰まった。たしかに、彼のどこを見て「天才」と思ったのか、私にはその理由がうまく説明できない。「直接会ってもらえれば、すぐにわかります」としか言えないのだ。

2010年02月02日

小舟に乗って

 今朝、ツイ友の中さんが、堀江貴文氏のブログを紹介していた。彼が引用した一文に興味を惹かれ、そのエントリを見にいってみたが、さらに別の文章にいたく感銘を受けたので、その文章を含むワンブロックを引用させていただくことにする。

そもそもどこかの会社に就職せねばならないという考え方そのものがナンセンスだし、せいぜい100年も歴史がない考え方なんだ。この時代自分で事業を興すのが一番安全で確実だ。君が乗っているタイタニック号は今の時代だとかなりの確率で氷山にぶつかって半分が溺死する。でも数人しかのれない君がこいでいるボートなら、タイタニック号のように快適な客室はないかもしれないが、氷山にはぶつかりにくい。自分で制御できるからだ。そして常に回りに目を配っているからだ。

 まさにここ数ヶ月、仕事をしながら漠然と感じていたことだった。社会の規模状況が変わったことを認識していても、会社の規模が大きければ大きいほど過去のシステムを捨てきれず、つい慣性でそのまま続けてしまう。そうして目をそらしているうちに判断が遅れてしまい、タイタニック号は沈んでしまうのだ。

 反対に、たいして捨てるものを持ち合わせていない小さな会社は、わりと身軽に世の流れにあわせてやり方を変えられる。だからこそ、急流にのまれようとも、なんとか沈まずに前に進むことができる。まぁそれも、ケースバイケースではあるが(もちろん、不況で真っ先に憂き目をみるのもまた、小さい会社であることも事実だ)。

 マイカは、言うまでもなく小さい会社だ。それだけに苦労も多いが、今日の堀江貴文ブログを読んで、とても励まされた。小さいからこそ、できることもあるのだ。

2010年02月03日

突然の訃報

 久しぶりに、楽しくて気持ちのいい人たちと一緒に焼き肉を食べて、とても愉快な夜だった。ところが、家に帰ってきたら、知人の突然の訃報が待っていた。

 BCNの、吉若取締役。食道ガンを患い、一時はよくなっていたものの、リンパに転移してからちょうど半年。本日の20時に、旅立っていかれたそうだ。

 彼と私は同郷の熊本県民同士で、食道ガンがよくなれば、一緒に太刀魚を食べにいこうと約束をしていた。晩年は人吉に帰って地域活性化に協力したいと、夢を語っていた。あのエネルギーあふれた人が、亡くなってしまったなんて信じられない。なんだか、とても悔しい。


2010年02月04日

みんな、悲しい

 昨夜のショックが、まだ尾をひいていて、なかなか気が引き立たない。うちの社員も、吉若氏の訃報を聞いて、ショックを受けていた。ましてや、同じ会社に勤めている皆さんのショックは、さぞ大きかろう。業務連絡で何度か電話したが、皆さんとても暗い声だった。やはり吉若さんは、それだけ愛されていたのだろう。本当に、惜しい人をなくした。

 吉若さんの時間は、昨夜20時で止まった。彼の時間は、そこから進むことはない。しかし私たちの時間は、今もなお未来に向かって進んでいる。なにかをしても、なにもしなくても、時は過ぎて行く。吉若さんは、今はじめて時の外に立ち、そんな私たちの様子を眺めているのかもしれない。そう思うと、妙に気持ちが焦る。果たして私は、自分の時間の中で何をなし得るのだろうか。彼がやりたかったことに匹敵するような、なにか意味のあることを、私はやれるのだろうか。



2010年02月05日

吉若さんに教えてもらったこと

 本日、BCNランキングの記事にあるコメントで、一昨日に逝去した吉若氏のブログの存在を知った。昨年9月30日にスタートしたこの日記は、1月17日に書かれた最後のエントリまで、ほぼ毎日更新されていた。最後のエントリには、「明日は検査と診察日。29日の予定だったが主治医に状況を話して診てもらうことになった。おそらくそのまま入院だろうと思う」とあった。それから16日後、彼はこの世を去った。

 9月30日の日記に遡り、それから一日分ずつゆっくりと読み進めたが、とにかく驚くことばかりだった。そこには、私が想像していた「闘病日記」とは程遠い、とてもアクティブでエネルギッシュな吉若氏の日常の様子が記されていたのだ。放射線治療を続けながらも新しく会社を起業し、それにともなった登記手続きや顧客の挨拶まわりなど、精力的に活動しているその姿は、健康なはずの私よりよほど活力に満ちていた。入院していたから筋力が落ちたとスクワットをしたり、長い階段を昇り降りしたという文面から、来るべき完全復活の日に備えてコンディションを整えようとする氏の様子が見て取れた。そこには、微塵も「死」の存在が感じられなかった。吉若氏は、最後まで未来を信じ、そこで生きる自分の姿を思い描いていた。

 本当に、なんという精神力、なんという意志の強さだろう。食道とリンパ、肝臓をガン細胞に侵されながらも、ここまで活動できる人がいる。吉若氏のブログを読んだ後、ちょっと気分がよくなった。まるで、マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」を見た後のようだった。彼の死を悼む気持ちより、生きて行動することの素晴らしさを教えてもらった感動のほうが強く心に残る……あまりうまく表現できないが、つまりはそういう気持ちだ。

2010年02月06日

娘の自立に思う

 本日は、娘の卒論提出期限日。いつもぎりぎりになって追い込むタイプの彼女は、ほとんど完成している論文を読み直しているうちに物足りなさを感じたのか、早朝から追加原稿の執筆を始め、学校にいく電車の中でも原稿を書き続け、「A4用紙に20枚以上」という規定を大幅に超過した39枚の大作を仕上げたそうだ。本当によくがんばった…とは思うが、なにも当日になってそこまで追い込まなくても、とも思う。まぁ、そのあたりも親によく似ている。

 彼女が卒論を提出した後、池袋で待ち合わせをして、彼女が4月から住む新居の下見にいった。駅から徒歩2分という交通至便な場所で、日当たりがよく、周囲の環境もよさそうだ。正直、居住面積は少し狭いように思ったが、一人で暮らすのだからあれで十分だとも思う。なにより、部屋に入ったときの印象がとてもよかったので、「ここでいいと思うよ」と賛成したら、とても喜んでいた。

 こうして実際に手続きを進めていると、4月から彼女が自立するということを、しみじみ実感させられる。大学4年間は、あっという間だった。12年前に離婚して以来、彼女とは8年間、離れて暮らしていた。その間、いつかきっと彼女と一緒に暮らしたいと、ずっと願い続けていた。そんなワガママを叶えてくれたのは、娘と元夫、そして娘との同居を許してくれた今の夫のおかげだ。とても楽しく、貴重な時間を彼女と一緒に過ごせたことに、心から感謝したいと思う。

 写真は、卒論提出祝いとして「はなの舞」で食べた焼きガニ。カニは、ゆでるより焼いたほうが絶対に美味しいと思う。

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2010年02月07日

76回目のバースデー

 本日は、父の76回目のバースデー。遠く天草に住む父に、せめて電話で「おめでとう」といった。相変わらず、とても元気そうな声だった。大阪の商社で働いていた時代は、それなりにそれなりの風貌だったが、引退して天草に住むようになってからは、まるで50代のようなたくましい身体になった。朝と晩は愛犬ヘルとゆっくり散歩して、昼は好きなゴルフを楽しみ、夕方からは大好物の刺身と日本酒をいただき、夜は早めに寝る。まさに、彼にとっては申し分のない毎日で、「こんなに幸せで申し訳ない」と言っていた。

 母は母で、趣味の短歌を楽しんでいるようだ。昨日も短歌会にいって、自分の句が選ばれたのだと、電話で自慢していた。そんな母が、今一番興味をもっているのは、産経新聞の「朝の詩」常連、柴田トヨさんだ。90歳を過ぎてから始めた詩が、新聞の詩の欄で発表されるたびに話題になり、ついに98歳になって、産経新聞から詩集を出したのだそうだ。その詩があまりにも素晴らしいので、「なんとか詩集を手にいられないか」といった。調べてみたところ、産経新聞に申し込めば分けてもらえるとのこと。ほかならぬ母の頼みなので、なんとかしようと思った。

 写真は、ヨドバシカメラ4階にある「丸福コーヒー」で飲んだブレンド。ここのコーヒーは確かに美味しいが、私にはちょっと濃すぎるように思う。やっぱり、御徒町のLapinのほうが好きだ。ちなみに本日、以前から使っていたスゴ録が壊れてしまったので、ヨドバシカメラでブルーレイ対応の「スゴ録」を購入した。69,800円。少々痛いが、なんとしても「龍馬伝」の続きを録画したいのだから、しょうがない。

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2010年02月08日

美味しいものをたべる

 今日のランチは、末広町交差点にあるBar de Espana EL CERO。パエージャが美味しい。今日は、魚介類のパエージャにした。食べながら、「これは石焼ビビンバにも似てるな」と思った。

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 午後、ご無沙汰の知人が事務所に遊びにきてくれた。彼は昨年春に胃ガンを煩い、夏に大手術を受け、秋から自宅療養を続けている。病気をする前はかなりふくよかな体型だったが、今はすっかりスリムで「ちょっとイケメンになったじゃないですか」と冷やかしたら、「それどころではないですよ」と悲しそうな顔になった。聞けば、食べてもすぐに気持ち悪くなるから、以前の1/4程度しか食べられないのだという。「食べないから、力がでないんですよ。そうするとね、気力も自信もなくなってしまう」。以前の彼からは考えられないほど気落ちした表情に、思わず口をつぐんでしまった。どんな言葉も、きっと彼には慰めに聞こえてしまうような気がしたからだ。

 食べられなくなると、つまらなくなる。つまらなくなると、気力がなくなる。体力もなくなる。そして生命力が失われていく。そうならないために、彼にはぜひ早く食欲を取り戻していただきたい。私は今日、美味しいパエージャを食べた。明日もきっと、なにか美味しいものを食べるだろう。食べて、動いて、摂取して、消化して。その繰り返しで、人は命をつないでいくのだ。今日は、そんな基本的なことを考えさせられた日だった。

2010年02月09日

AOR奥様の次は…?

 午後、打ち合わせ。せっかくお気に入りのカフェ「Lapin」で待ち合わせしていたのに、客がいっぱいで席がなかったので、急遽、秋葉原の「伊万里」へ。ここは隠れ家的雰囲気が心地よく、最近頻繁に打ち合わせ場所として愛用している。今日もたっぷり居座って、お話させていただいた。

 今日の打ち合わせでオファーいただいたのは、ある動画コンテンツ配信のお話。企画概要を拝見したところ、大変興味深かったので、1も2もなく「ぜひ」とお返事した。詳しい内容はまだ決まっていないが、正式にGO!が出たら、すぐにこの日記で告知しようと思う。

 告知といえば、もうひとつ。近々、この日記でかなりビッグかつスリリングな発表をする予定だ。おそらく、みなさんにとても喜んでいただけると思う。「最近、つまんないことばっかりだ。なんか面白いこと、ないかな」なんて思っている人は、乞うご期待!

2010年02月11日

手描き日記に挑戦

本日、SpeedTextというアプリをiPhoneにインストールしてみた。これは手描きメモができるアプリで、認識がいいとのこと。確かに、使ってみるとなかなか気持ちいい。ということで、試しに手描き日記に挑戦してみることにした。


まだ扱いに慣れていないので、字が汚いのはどうか御容赦願いたい。

手描きだからサクサク書けるかと思いきや、何度も書き直すため余計に時間がかかった。やっぱりテキストのほうが簡単だ。

2010年02月12日

これからの出版社のあり方を考える

 本日、某出版社の編集部の方にご挨拶に伺った。とりあえず今日の目的は顔合わせだったのだが、そこでもやっぱり電子書籍の話題が出た。最近、どこにいってもこの話だ。一昨年までは、どの出版社も、まだメディアとしての電子書籍を意識していなかったが、昨年からすこしずつ状況が変わり、今ではもう無視できない存在になっているようだ。積極的に推進するか、あるいはもう少し状況をみて判断するかは社によって違うようだが、異口同音に「デジタル化は、もう避けては通れないでしょう。やがてそうなることはわかっているのだから、あとはいつやるかだけの問題で」という。

 書籍のデジタル化が進むと、もうひとつ大きな課題が出てくる。個人が直接アマゾンと取引できるようになったら、出版社と印刷所の役割はどうなるだろう…ということだ。つまり、プロの作家であれ、素人作家であれ、自分の作品を自由にアマゾンで販売できるようになったら、編集者や出版社、印刷所はいらなくなるのではないか、という問題だ。

 この件について一般的な見解をきくと、出版業界に対してかなり悲観的な見方が多く出ているようだ。しかし、実は私はそうは思っていない。上手い作家やライターがいて、それをすぐに本にできる技術があったとしても、それだけで本が売れるわけではない。出版社には出版社の、編集部には編集部のもつノウハウがあり、それは一朝一夕で身につくものではないのだ。やはりそこには、出版のプロが必要とされるのではないかと、私は考えている。その時スポットライトがあたるのは、たとえば「この人が作れば必ずミリオンセラーになる!」というような、カリスマ編集者だったりするのではないだろうか。

 今年から来年にかけて、出版業界は大きな転機を迎える。そこで倒れるか、生き残って新しいメディアの潮流を生み出すかは、まさに今、どの道を選ぶかにかかっているような気がする。判断を間違えないように、しっかりと未来の出版スタイルを見極め、そこで受け入れられる出版物を思い描きながら、慎重に足を進めていきたい。

2010年02月13日

iPhone用プロジェクトパーム、発進!

 先日ちらっと予告していたのは、実はこのことだった。本日、ようやくAppleの審査が終わり、マイカ発第一弾iPhone用電子書籍の発売が始まった。第一弾は、かの幻の名作「プロジェクト・パーム」だ。

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 この電子書籍ブラウザは、かつてPalm時代に活躍したプログラマ、陰郎さんから「ぜひ、iPhone版をつくりましょう!」とお申し出があり、そのご好意に甘えて開発していただいたもの。今回のご提案の背景には、同じくPalm時代に活躍していたプログラマ、eyeさんの存在もあった。eyeさんがプロジェクトパームの電子書籍をみて、「これをiPhoneで読めるようにすればよいのでは」と思いつき、陰郎さんに連絡してくださったそうだ。つまり、多くの人たちのおかげで、このたび出版が実現したのである。

 本書の著者は、Palmユーザで知らない人はいない、あの「Palm航空」の「機長」である。機長は、本書の執筆に、なんと10年もの月日をかけた。その間、一度アスキーの「Palmマガジン」で告知されていたから、おそらくこのタイトルも多くの人の記憶に残っているだろう。当時、多くの人が出版を待ち望んでいた本書だが、諸般の事情により出版が先送りになり、やがて日本にPalmが存在しなくなったことから、機長が情熱を傾けて仕上げたこの作品は、完全に行き場を失っていた。

 その幻の名作が、今、電子書籍と出会い、携帯電話とiPhone/iPod touchで読む本として誕生した。Palmという手のひらサイズの端末が衰退した後、そのDNAを引き継いだiPhone端末で改めてPalmの歴史を読むというのも、なかなか不思議な感覚だ。この夢のような企画が実現したのも、電子書籍という新しい出版形態がここまで広がったおかげだと思う。こうして、機長のライフワークといっても過言ではない素晴らしい作品を、ずっと待ち続けていた読者のみなさんにお届けする役割の一端を担えたことを、大変誇りに思っている。本当に、今日ほど「電子書籍の出版社をやっていてよかった」と思ったことはない。

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◆「プロジェクトパーム」のご購入は こちら(リンク先を開くと、iTunesが起動し、購入ページが開きます)

2010年02月14日

カニを食べに

本日、九回目の結婚記念日。毎年、とくに何もせずにすごしていたが、今年はたまたま日曜だったので、少し贅沢なものでも食べにいくか、ということになった。

贅沢なものといえば、カニ。最近は焼きガニがマイブームで、何が食べたいと聞かれると、瞬時に「焼きガニ!」と答えることにしている。

ということで、上野の「かに道楽」で会席コースをいただいた。ちょうど「茹で蟹食べ比べ」キャンペーンをやっていたので、それにした。もちろん、茹でるカニだけでなく、焼きガニもつけた。



帰宅後、録画しておいた龍馬伝をみた。龍馬の父が流す涙をみて、私ももらい泣きしそうになった。「子供が成長していく姿をみるのは、親の喜びである」。たしかに、その通りだと思った。

2010年02月15日

バレンタインチョコをもらった♪

 カコさんは愛の人だから、毎年、私にまでチョコをくれる。今年は、柿の種をチョコでくるんだ「チョコの種」だった。わたしの好物が柿の種だと知っていて、これを選んでくれたに違いない。嬉しい〜!

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 チョコのパワーを借りて、今日は遅くまで仕事を頑張った。慣れない分野だから、とまどうことも多いけれど、新鮮な刺激に満ちていて、とても楽しい。…なんてことを思いつつ、気分転換にiPhone用Project Palm(プロジェクトパーム)のapp storeランキングを覗いてみたら、なんといきなり9位! 有名なコミックやグラビアを抑えてのベスト10入りを果たすなんて、想像だにしていなかった…いったい世間では、何が起こっているのだろう。

2010年02月17日

春が待ち遠しい

本日、取引先の社長とランチをご一緒したあと、移転予定のビルに案内してもらった。広く、大変気持ちのいい空間だった。社長いわく、春には、ここに移転するという。心機一転、この場所でリスタートするのは、とてもいいことだと思った。早く春がくればいい。

夜、息子が訪ねてきた。今日は、彼の子供の出産予定日だが、まだ生まれる気配はないそうな。焦っていても、しょうがない。私も、孫と会える日を楽しみにしながら、気長に待つとしよう。

写真は、私の母から送られてきたベビー服の数々。生まれてくる子は、母にしてみれば、ひ孫である。ひ孫に会えるなんて、こんな幸せなことはないそうだ。






2010年02月18日

いま、一番好きな作家

 ここのところ、とある作家に夢中だ。手元には、彼女の作品がまだ2作しかない。先日、ようやく一作を読み終えたばかりだ。しかし、もう一作に手をつけてしまうと、もう彼女の新作が読めなくなる。そんな訳で、いまだにその作品には手を出せずにいる。

 実は、彼女の本はまだ、どこからも出版されていない。つまり、素人作家さんだ。偶然、彼女のサイトを覗いたことがあった。そのとき、いくつか短編を読み、心惹かれたので「電子書籍に興味はありませんか?」とメールした。その後しばらく返事を待ったが、反応がなかったので、それっきり忘れていた。ある日、見知らぬアドレスからメールが届いた。その内容を見て、ああ、あのときメールした相手だと思い出した。彼女のメールには、「電子書籍に興味がある。以前、書いた長編があるので、ぜひ読んでもらいたい」とあった。正直、電子書籍に長編はむかないと思っていたので、あまり気乗りはしなかったが、せっかくのお申し出なので読ませていただくことにした。

 それがちょうど年末年始の忙しい時期だったので、なかなかじっくり読むこともできず、前半を斜め読みしただけの状態だったが、印象深いシーンがいくつかあり、「これはもしかすると」という予感があった。年明けの繁忙期が一段落した頃、ようやく腰を据えて読み始めたが、読み進めるにつれ、どんどんストーリーに引き込まれていった。半ばを過ぎた頃からは、もう手をとめることができなくなり、文字通り「寝食を忘れて」読みふけった。ここまで物語に夢中になったのは、本当に久しぶりだった。

 最後のページを読み終えたあと、すぐに彼女にメールをした。
「非常に素晴らしい作品で、深い感銘を受けております。正直、なぜこれまでこの作品が書籍化されなかったのか、不思議です」
 そして、なんとしてもこの作品を世に出したいということ、できれば紙の書籍で出版したいので、出版社に営業をかけさせていただきたいと申し出た。あまりにも唐突な申し出で驚かせてしまうかと思ったが、どうしても彼女にこの気持を伝えておきたかった。そして彼女は、その申し出を快よく受け入れてくれた。

 それと同時に、これまで編集者として仕事をしていたが、昨年秋にリタイアをした知人に宛てて、この原稿をメールした。自分だけの意見だと心もとないような気がして、彼の意見が聞きたかったからだ。彼は、昨日その原稿を受け取り、プリントアウトして読んだとのこと。途中、オリンピックの結果が気になったが、それよりも「この原稿の魅力のほうが勝った」と高く評価してくれた。彼の意見は、「一番この作品にふさわしい形を模索し、ぜひ出版したい」とのことだった。そして、「ぜひこの作品のサポーターになってほしい」という私のワガママにも応えてくれるとのこと。本当に心強く、ありがたいことだと思った。

 さてさて、これからどうしようか。ただでさえ、不況の影響をもろに受けている出版業界、有名な作家すら新刊を出すのが難しいという状況だ。こうした中、果たしてまったく無名の作家を売り込んでいけるものなのだろうか。正直、不安はいっぱいだ。しかし、こうして私の手の中に名作があり、その運命を委ねられた今、なにがなんでもなんとかするしかない。ほんのちょっと、あまりにも無謀な挑戦だという気もするが、ここは肝を据えて取り組んでみようと思う。

2010年02月19日

時が満ちる

 息子の嫁からメールが届いた。今朝、おしるしがあったそうだ。いよいよ、その瞬間が近づいてきた。週末に生まれるだろうか。それとも週明け?

 息子嫁のメールを読んで、24年前のことを思い出した。そういえば、私が最初の子供をうんだ時も、ほんのちょっと、おしるしがあった。それを見た時のときめきと緊張感は、今でも忘れない。「さぁ、いよいよだぞ」と、気持ちがひきしまった。痛いだろうなとは思ったが、あまり怖いとは思わなかった。どちらかといえば、「どんとこい、しっかりこの世に送り出してやる!」というような、ちょっと勇ましい気持ちだった。息子の嫁も、今頃そんな気持ちでいるのだろうか。

 写真は、本日のお昼にいただいた、神保町ボンディのチキンカレー。1450円と少し高めだが、それでもおつりが来そうなほど美味しかった。ボンディのあとは、さぼうるでミルクティ。これこそ、神保町の正しいランチコースである。

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2010年02月20日

サンシャイン牧場は、やめられない

 mixiアプリ、どれも途中で挫折してやめたんだけど、サンシャイン牧場だけは止められない。なぜこれだけこんなに続いているのか、たまに自己分析をする。

 たとえばこのゲームは、時間が過ぎた分だけ植物や動物が成長するので、時間の経過を客観的にとらえる物差しになる。なにかに夢中になって時が過ぎるのを忘れたときも、サンシャイン牧場をみると「ああ、こんなに時間が経っていたのか」とわかる。反対に、たいして何もせずにぼーっと過ごし、「すっかり時間を無駄にしてしまった」と悲しくなった時も、サンシャイン牧場の植物や動物がしっかり成長しているのを見て、「この中ではしっかり成果物ができている」と安心したりする。

 また、あまり交流のないマイミクさんと、地の底のほうでゆる〜くつながることができるというのも、このゲームの長所かもしれない。表立ってメールを交わしたり、電話をしたりはできないけれど、いつもなんとなく「あの人は今、どうしているのかな」と思いながら、そっと乾いた地に水をまいたり、虫を取り除いたりしている相手とは、久しぶりに会ったときもすぐに仲良く話ができるような気がする。「いつもお野菜、いただいてばかりでごめんなさいね。今度、うちの野菜ももっていってね」なんて会話も、二人の距離を縮めるいいエッセンスになるかもしれない。

 とまあ、理由はいろいろ考えられるけれど、私にとってこのゲームがやめられない一番の原因は、マイミク永嶋恵美さんの存在だ。彼女は、自分でも認めている通り、めちゃめちゃヘビーなゲーマーだ。彼女の作品「せん-さく」に、とことんやりこむゲーマー主婦が登場するが、あれはおそらくご自身の経験も混ざっているのだろうと思う。逃亡劇の途中も、オンラインゲームの結果が気になって、ついPCをネットにつなげてしまうあのヒロインの姿は、私の中の恵美さんイメージと重なる。もちろん、ご本人はとても多忙な作家さんなので、今はそれほどやりこんではいないと思うが、過去には数々の伝説をお持ちだろうと推測する。

 そんな彼女も、サンシャイン牧場をやっている。まるで依存症のように、起きてから寝るまでずっと畑を気にしている私とは違って、彼女は忙しい合間を縫っての参戦だと思うが、それでもいつの間にかスルスルっと私の隣をすり抜けて、ランキング1位の座を奪ってしまう。そうすると私のゲーム魂に火がつき、「なにがなんでも王座を奪還する!」と張り切ってしまうのだ。最近では携帯からもアクセスできるようになり、外出先でもちょくちょく牧場を覗いてケアしたりするほどの熱中ぶりだ。自分でも、よくそれだけ熱中できるものだと感心する。

 おそらく恵美さんがいなかったら、数ヶ月前に飽きてやめてしまっていただろう。ディスプレイの向こう側にいつも好敵手の存在を感じているから、今も変わらずファイトを燃やしてこのゲームを続けていられるのだと思う。なかなか直接ご本人にお伝えする機会がないので、今日は日記を借りて恵美さんにお礼を言いたい。ありがとう、永嶋恵美さん。これからも遊んでくださいね。
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2010年02月21日

三省堂の由来

 「論語」の中に、次のような一節がある。

我れ日に三たび、我が身を省みる。
人のために謀って忠ならざるか、朋友と交わって信ならざるか、伝えて習わざるか。

 この言葉を私流に適当に訳すと、次のようになる。

A・人のために行動を起こすとき、誠実さを欠いていないか。
B・友と交流するとき、相手に対して誠実さを欠いていないか。
C・いいかげんなことを人に伝えてはいないか。

 AとBは、とてもよく似ている。友だちに対して誠実であること、また他人に対して何か行動を起こすとき、その相手に対して誠実であることは、どちらも根っこが同じで、他人に対して不義理をしないということだ。Cは、この2つとは違い、自分に誠実であることを求めている。自分がよく知りもしないことを、さもよく知っているかのように語ったり、振舞ったりすることは、誰より自分自身に対して不義理である。

 つまりこの3点は、いずれも「自分や他人に対して義理を欠いたことをしていないか」ということだ。曾子は一日三度、こうしたことについて自問自答し、自分を戒めてきたのだろう。この言葉は、出版社の「三省堂」の語源にもなっている。私の国語の辞書はずっと三省堂だったが、この曾子の言葉は、あまり覚えていない。若い頃は、誰しもプライドが高く、なにより自分を優先したがる傾向にある。そんな時期にこんな内省的な言葉を聞いても、ピンとこないのが当たり前なのかもしれない。

 しかし、それから長い年月を経た現在、ようやく少しこの気持がわかるようになってきた。いや、自分の心や他人の心が少し透けて見えるようになり、この意味がよくわかるようになってきたと表現するほうが正しいのかもしれない。誰かに助けを求められても適当に聞き流したり、友だちの信頼を平気で裏切ったり、よく知りもしないことを得意げに語っている人をみると、どんなに上手に上辺を取り繕っていても、その底が薄く透けて見える。本当に申し訳ないけれど、その瞬間、少しその相手に対して「がっかり」する。そうなってくると、自分も他人から見ると同じように見えるのではないかと心配になる。適当にごまかしてやり過ごしている姿を誰かが見て、「あらら…」と思っているのではないかと思うと、恥ずかしくて顔が赤くなる。だから最近では、できるだけ不義理なことはしたくないと思うようになった。

 ところで本日、twitterで次のような宣言をした。

今、日本中に広がっている批判体質にとことんうんざりしているので、今日から私は決して他者を批判しないと宣言します。たまに約束を破っちゃうかもしれませんが、できるだけ頑張ります。批判しそうになったときは、自分を省みることにします。そしたら、恥ずかしくて偉そうなことはいえないはず。

 この宣言自体が狭義の批判にあたると言われると、正直「ぐう」の音もでない。それでもあえて宣言するには、ちょっとした理由がある。しかしその理由を説明すると、批判になる。だから、ここはあえて理由を説明せず、ただ宣言するだけにとどめておきたい。

 この宣言を実行するのに一番必要なのは、謙虚であるということ。そのために、私も日にみたび、自分を振り返らなければならないだろう。そのたびに、見たくない自分の不義理さを、正視することになるだろう。それはあまり愉快なことではないが、これを続けている限り、えらそうに他者批判を繰り返す大人にはならずに済むだろう。…ああ、この文章も、ちょっとした批判になっている。私もまだまだ、修行が足りない。

2010年02月23日

孫、誕生!

 日曜の夜からずっと陣痛と戦って、ようやく今。
 初孫が生まれた。
 こんな嬉しいことはない。
 ほかに、言葉が見つからない。
 

2010年02月25日

ライフログは必要か?

 昔、「知的生産の技術」という本にかぶれたことがある。高校生だった私は、この本を読んですっかりその気になって、京大型カードを買ってそこにメモを書き付けていた。当時書いたメモは、もうすっかりなくなってしまったが、もし今でも残っていたら、さぞ面白い内容だっただろう。なくすなんて、もったいないことをした。

 最近になって、またその本を手にする機会があり、改めて読んでみたところ、古い内容ではあるが、たいへん面白かった。学問に対する誠実で真摯な著者の姿勢が清々しく、非常に心惹かれた。最近は、なかなかこういう人を見ない。

 さて、この本には、カードでメモをどうとるか、という話が書かれているが、これは今のiPhoneのメモにも通じることが多く、大変ためになった。なかでも、なにを記録すべきかという話は、とても考えさせられた。

 私はこれまで、twitterやtimelogでライフログを記録してきたし、いまもmomentoで記録を続けているが、本当にライフログは私にとって必要なものだろうか。この本では、メモするべきことは「発見」であると書いていた。著者は、思いついたこと、発見したことこそ、記録すべきメモだという。これはつまり、ライフログではなく、思考ログだ。私に必要なのも、この「思考ログ」なのではないだろうか。確かに、食事の記録や就寝時間の記録は、健康管理には役立つだろう。しかし、私はそれがしたくてライフログを始めたのだろうか。おそらく、そうではなかったはずだ。

2010年02月26日

浅田真央とキム・ヨナの精神力

 今日のネットは、どこも女子フィギュアスケートの話題でもちきりだった。私は昼間、会社で仕事をしているので、当然リアルタイムで競技を見ることはできない。できれば夜、録画した番組をみるまで結果は知りたくなくて、mixiやtwitterを極力避けていたが、思わぬところから結果が目に飛び込んできてしまった。これが、ネット社会の弊害である。

 さて、今回一番注目されていた浅田真央とキム・ヨナの対決は、ショート、フリー共に本当に素晴らしかった。演技と技術は当然だが、もっとすごいのは二人の精神力だ。皮肉にも、ショート、フリーとも滑る順番が続いてしまった二人。普通の人なら、意識しすぎて自爆してしまうところだろうが、どちらも自制心で平静を保ち、自分のスケートを滑りきった。たった19才の女の子に、あんなことができるなんて、とても信じられない。もし私だったら…と思うと、想像するだけで震えてしまう。勝負の舞台に出る前に、きっとこの競技をやめてしまうだろう。

 浅田真央が、あとのインタビューで泣いたそうだが、私はそのシーンは敢えて見なかった。とても正視できそうにないと思ったからだ。フィギュアスケートをやめない限り、彼女たちには、また4年後に因縁の対決が待っている。おそらく今日から、次の戦いにむけての練習が始まるのだろう。本当に、なんて惨く、なんてハードな人生だろう。

 この大会では、ほかに印象に残った選手がいた。最後に備忘録として、その名前を記しておこう。

・ジョアニー・ロシェット:この人の精神力にも参った。見ていて胸が締め付けられた。
・安藤 美姫:クレオパトラが大変よく似合う。全身を悲しみが覆っているように見えた。
・鈴木 明子:終わった後、泣きながら「楽しかったー!」といっていたのが印象的。
・アリョーナ・レオノワ:大好きだった。なんて明るく素直な人。友だちになりたい。

2010年02月27日

君の瞳には、なにが映っているの?


 あいにくの雨だが、静岡の病院まで車を走らせた。同乗者は、私と相方、それと長男と長女。静岡の病院には、息子の妻と子供がいる。息子の子供、つまりわたしにとっては孫である。これから生まれて初めて、孫に会いにいくのだ。といっても、正直あまりピンときていない。一昨年、大学を卒業した息子は、昨年夏に恋人と結婚すると宣言し、それから間もなく「彼女が妊娠した」と言った。卒業からここまでの道のりが、あまりにも早すぎた。私は、その速度についていくのが精一杯で、だから孫とご対面した瞬間に「かわい〜!」とは思ったものの、「どう、おばあちゃんになった感想は?」と言われても、「よくわからない…」としか答えられなかった。

 ただ、赤ちゃんを抱いた息子の姿をみたときは、ちょっと鳥肌がたった。24年前、私はこれとおなじ光景を見たことがある。そう、あれは息子が生まれた時だ。息子のパパ、つまり当時の私の夫は、今の彼と同じように不器用に息子を抱き、愛しそうにつくづく赤ん坊の顔を眺めていた。その光景がピタリと重なって見えたとき、「ああ、この子は私の孫だ」と感じた。

 息子嫁のお母さんから、「写真集を作ったので、見て下さい」と手渡された。開けてみると、最初のページに富士山の写真、そして次のページに、妻をしっかりと抱く息子の姿が写っていた。それから次々と、陣痛に耐える息子嫁、それを見守る息子の姿が続いた。「彼は本当に、よくしてくれました。三日三晩続いた陣痛でしたが、ずっと娘のそばにいて片時も離れず、不眠不休で娘を心配してくれて…」。その姿を見て、「うちの娘は、本当に夫に愛されている」と感じたそうだ。それで、その姿を撮影し、記録として残そうと思ったそうだ。
 その写真集には、私の知らない息子の姿があった。愛する妻を思い、励まし、苦しむ姿から目をそらさず、一緒に戦っていた彼の姿だった。私が言うのもなんだが、本当に彼はかっこよかった。いい男に育ったものだ。そのことを教えてくれたお母さんに、心から感謝したい。

 夜、静岡のおじいさま、おばあさまとも対面した。結婚がバタバタと決まって式も挙げていなかったので、今までご挨拶するきっかけがなかったのだ。私たちがお宅に到着すると、客間に通されて、すぐにお寿司とお味噌汁、もつ煮込み、自家製漬け物がふるまわれた。どれも、とても懐かしくて優しく、お二人のお人柄が伝わるような味だった。

 その客間は、退院後、息子嫁が産後一ヶ月過ごす部屋になるという。そこには彼女のベッドと赤ちゃんのベッド、こたつがあり、とても居心地がよかった。これなら、嫁も安心してゆっくり育児ができるだろう。ご夫婦は、終始にこやかで楽しそうで、いかに息子夫婦がお二人に愛されているか、よくわかった。本当にありがたいことである。

 ところで今日の日記タイトルだが、これは相方が赤ちゃんをだっこしたときに思ったことだそうだ。私は「こんにちは、私がおばあちゃんだよ」と思ったのだが、彼は「ね、君の瞳には何がうつってるの?」と思ったそうだ。彼と私が結婚したとき、息子はすでに中学生だったから、相方はこれまで赤ちゃんに触れる機会がなかった。だから、本当に不思議なのだそうだ。これから孫と会うたびに、新しい発見があるに違いない。

2010年02月28日

激動の3月が始まる

 明日から3月。いろんなことが新しくなる。

 まず、娘の研修が始まる。彼女は4月から、某保育園で保育士として働くことになっている。3月は、丸一ヶ月研修があり、卒業式の日以外はずっと仕事をするそうだ。3月21日には、新居への引越しもある。そこから、社会人としての生活が始まるのだ。

 それと、孫が退院する。本当は明日3月1日が退院予定日だったが、一日繰り上がって、今日退院したそうだ。今日から、おばあちゃんの家で産後の一ヶ月を過ごすとのこと。決して焦らず、のんびりゆっくり、楽しみながら育児に慣れていってほしいと思う。

 それと、3月末には事務所をリニューアルする。といっても、また引っ越すわけではない。部屋割りや配置を工夫し、不要物を処理して、もう少し広くゆったりと仕事できる環境にするつもりだ。取引先も、その頃に会社を移転するとのこと。春に向けて、みんなが新ステージへと移行しようとしているようだ。なんだかちょっと、ドキドキする。

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