« 孫、誕生! | メイン | 浅田真央とキム・ヨナの精神力 »

ライフログは必要か?

 昔、「知的生産の技術」という本にかぶれたことがある。高校生だった私は、この本を読んですっかりその気になって、京大型カードを買ってそこにメモを書き付けていた。当時書いたメモは、もうすっかりなくなってしまったが、もし今でも残っていたら、さぞ面白い内容だっただろう。なくすなんて、もったいないことをした。

 最近になって、またその本を手にする機会があり、改めて読んでみたところ、古い内容ではあるが、たいへん面白かった。学問に対する誠実で真摯な著者の姿勢が清々しく、非常に心惹かれた。最近は、なかなかこういう人を見ない。

 さて、この本には、カードでメモをどうとるか、という話が書かれているが、これは今のiPhoneのメモにも通じることが多く、大変ためになった。なかでも、なにを記録すべきかという話は、とても考えさせられた。

 私はこれまで、twitterやtimelogでライフログを記録してきたし、いまもmomentoで記録を続けているが、本当にライフログは私にとって必要なものだろうか。この本では、メモするべきことは「発見」であると書いていた。著者は、思いついたこと、発見したことこそ、記録すべきメモだという。これはつまり、ライフログではなく、思考ログだ。私に必要なのも、この「思考ログ」なのではないだろうか。確かに、食事の記録や就寝時間の記録は、健康管理には役立つだろう。しかし、私はそれがしたくてライフログを始めたのだろうか。おそらく、そうではなかったはずだ。

コメント (2)

紙魚子:

 昔あんなにベストセラーだった『知的生産の技術』を、いまもベストセラーながら、まだ読んでいません。家事以外のハウツー本はほとんど読まず、どちらかといえば「何の役にも立たない本」の方を読んでたりします(笑)
 でも今回真花さんの記事で、「なるほどー!」と腑に落ちることがありました。どうもありがとう。私のブログに少し引用させていただきますね。

真花:

紙魚子さん、コメントありがとう!
そうか、同時代ですもんね、紙魚子さんも。

「知的生産」という言葉のニュアンスは、
なんとなくハマトンや渡辺昇一が連想させますが、
私には、梅棹忠夫のスタンスのほうが好ましく思えました。

コメントを投稿