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薬局日記(6)

■レディースディのしあわせ

 土曜日の薬局は、景色が違う。
「いらっしゃいませー」
 声を合わせてお客さまをお迎えするのは、3人の美女たち。
「おっ。今日は女の子ばっかりだね」
「そうなんですぅ」
 小池さんは、うれしげに笑顔を向けて答える。
「今日は週に一度のレディースディなんですのよ、お客さま」

 そう。土曜日はしあわせなレディースディ。なんたって、大竹の公休日なのだ。
 ほかの店から来ている薬剤師さんなんて目じゃない。
 店を守るのはわたしたち3人なのだから、もう好き放題。
「いいのよ、週に一度はこんな日もなくちゃ」
 3人は、店をあけたらさっさと奥に引っ込む。
「コーヒーにしましょ」
「そうね。今日くらい掃除しなくたって死にゃあしないわよ」
 とっとと椅子を出してコーヒータイムに突入してしまう。勤務時間わずか5分。
 荷物が届くか、お客さんが現れるまではもうここから動かない決意である。
 もちろん、完全に合理主義的経営者魂を忘れていない大竹は、連絡事項の書類に「今日やっておいてもらいたいこと」をたくさん用意しておいてくれてはいる。が、
「なんかたくさん書いてあるねえ」
「いいよ。あとでやろうあとで。ほら、お昼食べたらちょっと体動かしたくなるじゃない。そん時にでもやっつけちゃえばいいよ」
「そうだよねー」
 結論はあっさりと出てしまい、3人はまたコーヒーとおしゃべりの世界へ帰っていってしまうのであった。大竹、ゆかりちゃんを体験し、小池さんを目のあたりにしてもまだ、「店長の指示は絶対である」という妄想から醒めていないらしい……。

■ババシャツの誘惑

「今日はいいもの持ってきたのよ」
 小池さんは、大きな紙袋から一冊の雑誌を取り出す。
「セシールのカタログじゃん」
「そう。ほら、これってたくさん注文すると割引率いいじゃない。みんなで頼んだらどうかなーって思って」
 われわれは早速カタログをひろげ、品定めを始めた。勤務時間であるということを意識するような輩はいない。
「あれほしいな。あったかいの」
「ババシャツ?」
「うん、そうそう。ババシャツほしい」
「かわいいのあったよ。えーっと……あったあった。これよ。胸のところのレースがかわいーの」
 小池さんご自慢のそのババシャツ、お値段は750円なりとなかなかのお手頃品だった。
「いいね。うんわたしこれ買おうっと」
「あ、じゃあわたしも」
「はいはい……2枚ね」
 小池さん、注文書に早速オーダー数を書き込み始めた。と、その時。
「こんにちはー」
 さる大手メーカーの営業さんが部屋に入ってきた。
「あ、はい!」
 わたしは飛び上がってしまった。なんたって、机の上にはセシールのカタログが広がっている。しかも下着のページである。
「こんにちは」
 冷や汗もので笑顔を向ける。彼は、まだなにも気がつかないようで、しきりにきょろきょろ店長を探している。
「今日、店長は?」
「あいにくですけど、今日は公休日なんです」
 答えながら、微妙に体の位置をずらしてセシールのカタログを彼の視界からさえぎる私。
「そうですか。いや、今日は新製品のご紹介にうかがったんですけど……」
 それでもしばらくきょろきょろをやめなかった営業さん、ある瞬間、ぴたっとその目を止めた。果たして彼の視線の先には、あられもない姿でひろげられたままのセシールのカタログが……! 小池さん、隠してよーっと心で叫んでみたけれど、彼女は注文書を書くのに夢中でそんなことにはまるで気づきそうにない。
「あ、あの……?」
 信じられないという顔で私を見る営業さん。なんと答えたらいいかわからない私は、つーっと目をそらしてしまう。と、
「あ、こんにちはー。○○さんもご一緒に買われます?」
 やっと彼の存在に気がついた小池さん、あろうことか、彼にカタログを差し出してしまう。いきなり下着のカタログをつきつけられた彼(推定年齢50代後半)は、心持ちほっぺを赤く染めている。当たり前である。娘ほどの年頃の女性に下着の写真をいきなりつきつけられて、平静でいられる男なんてそうはいない。
「どうですか? このババシャツかわいいでしょ? 」
「バ、ババシャツってなんですか」
 かわいそうな営業さん、顔を赤くして目を白黒させながら質問している。
「ババシャツっていえば、ババシャツですよ。ほら、冬に着る下着で、長袖のあったかいやつ」
「ああ、あれですか」
 営業さん、丁重にカタログを小池さんに返しながら何度も首をふった。
「なるほど。あれをババシャツというのか……あ、いや。ぼくはいりませんから」
「まーそういわずに、奥様にでも。あ、娘さんいらっしゃったんですよね。どうです、こっちのキャミソールなんてのもかわいいですよ。プレゼントにいかが?」
 すっかりセシールのセールスマンにでもなってしまったつもりなのか、小松さん。営業さん相手に営業を始めている。しかも一歩も引いてない。この勢いで、店でも薬を売りまくってほしいものだが……。
「あのあの、でも本当にぼくはいいですから」
 営業さん、必死で小池さんのセールステクニックから逃れようと努力している。ひかない彼女の言葉をかわしつつ、突然はっと我にかえった彼、にわかに自分の鞄の中から3本の栄養ドリンクを取り出した。
「えっと、これが当社で開発した女性向けドリンク剤の新製品なんですけど……」
 どうやら営業さん、小池さんの営業活動を見ているうちに、ご自分の本業を思い出したらしい。うって変わった冷静な表情と声を取り戻し、わたしたちにそのドリンク剤を手渡しながら、なめらかにセールスポイントや消費者ターゲットなどを説明しはじめる。さすが本業!
「若い女性には鉄分が不足しています。この鉄分を効率よく補給するドリンク剤です。味は、さわやかな青りんごの風味になっています。どうぞ」
 彼は自分にも1本ドリンクを取り出し、早速ふたを開ける。
「試供品ですから、お試しください。ささ」
 わたしたちも、つられてふたを開ける。
「では、かんぱーい!」
 彼の音頭で、いっせいにドリンクを飲み干した。ジュースのようなさわやかな味。ダイエットマニアである小池さんは、ラベルに表示されているカロリーのチェックを忘れない。
「うーんと……このくらいだったら、合格ラインかな」
「意外とおいしいのね。これだったら、ジュース代わりに飲めるかも」
「鉄分補給しとかないと、貧血気味だっていわれたから。これ飲んでいれば大丈夫よね」 3人はそれぞれ勝手に批評をする。おおむね好評だとわかり、ほっとする営業さん。
「では、わたしは次の店をまわってきますんで……。明日店長さんが店にこられましたら、このドリンクの件、よろしくお伝えください」
「はーい!」
 3人は、おいしいドリンクに気をよくしていいお返事をかえす。
「また来てくださいねー」
 伊藤さんが営業用スマイルを彼に向けた。
 その日から、彼の営業活動は毎週土曜日、つまりレディースディとなってしまった。困った顔しながら、結構気に入ってんじゃん。男って、よくわからない。

■肉うどん3本立て

「おなか空いた〜」
 まだ11時過ぎだというのに、これである。レディースディは、とかく食欲に走りがちだ。会話の中の半分は食べ物の話題になってしまう。ちなみに残りの3割は店長の悪口、2割は彼氏の悪口である。つまり、典型的な女の集団なのである。
「どうする。もう注文しとこうか」
 わたしは吉川屋のメニューをひろげる。ここのうどんは、かなりいける。
「そうね。わたしは肉うどん」
「それ、おいしいの?」
「おいしいらしいわよ。この前店長が言ってた」
「じゃ、わたしも」
「わたしもそれにしといて」
「了解」
 伊藤さん、吉川屋に電話をかける。
「すいませーん。肉うどん3つとライス3つ。お昼頃もってきてください」
 なにも言わなくても、ライスをつけてくれている。さすが伊藤さんは気がきいている。ダイエットマニアの小池さんも、わたしより小柄な伊藤さんも、そして ”やせの大食い”だと言われているわたしも、みんな本当によく食べる。店長は、うどんとライスを取るといつもライスを半分残しているというのに、この3人は残した試しがない。

「ありがとうございまーす。うどん屋です」
 吉川屋がうどんをもってきてくれた。待ってましたとばかり、彼女たちはうどんを受け取りに走る。ひとりはテーブルセッティングへ、もうひとりはお茶の用意へと分業体制もばっちりだ。わたしは財布を取り出して、支払いを済ませる係である。
 店を見ながら食べなくてはいけないので、調剤室のテーブルを借りての食事となる。売り場からガラスで丸見えとなるので落着かないことこの上ないが、これはしょうがない。食欲旺盛なわたしたちは、人から見られているからとお上品に食べられなくなるようなやわな神経を持ち合わせていない。
「ささ、食べましょ」
 幸せそうな笑顔を浮かべながら、3人は同時に「いただきまーす」とうどんをいっせいにすすり始める。
「すいませーん」
 もちろん、食事の途中でも客はやってくる。
「はーい」
 口の中のうどんを飲み込みながら、カウンターに走る。レジをうちながら微妙に間をとり、すっかり口を空っぽにして「2565円です(にっこり)」というタイミングも、最近すっかり会得してしまった。ちょっと葱くさいかもしれないが、そのあたりは愛嬌である。
「すいませーん」
 しかし、たまに客の存在に気づかずに食べ続けてしまうことがある。カウンターで何度も「すいませーん」を繰り返した客は、しょうがなく調剤室の窓をノックする。
「お食事中ごめんなさいね。あの、これくださいな」
「あ、はいはいはい」
 慌ててカウンターに走る。客は、窓ごしに3つの肉うどんを目撃し、ごくっとつばを飲み込む。お昼時、お腹の空いていない人はいない。しかも匂いまで漂ってきている。思わず、「おいしそうですね。あれ、どこのですか?」と聞いてくる客の心境はわからないでもない。
「あ、これ吉川屋のです。肉うどん、最高ですよー」
 ここぞとばかり、小池さんが宣伝活動を始める。
 あのさー、だからさー、その営業力でぜひ、薬をね……。


◆執筆者後記
 ミスター・プロテイン。小池さんが作り出した造語である。プロテインとは、たいていの人がご存知のように、ダイエットなどで利用されるタンパク質補助食品である。して、そのココロは。