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薬局日記(5)

■祝! パートさんがやってきた。

 新しいパートさんがやってきた! 長かった苦難の日々よ、さようなら。これからは、もう堂々と仕事を休むことができる! わたしと大竹は、おそらく今日本でこれほど歓迎される職場はないだろうというくらい盛大に、彼女たちを歓迎した。
 思えば、ゆかりちゃんが「就職活動しますので、辞めさせてください」と言ったその日から一ヶ月、つらい、悲しいの連続だった。週に一度の公休日でさえ、「あの、私明日お休みなんですけど……」「なに? するってえと岩田さんは、明日わたしに昼食をとらせないつもりなの? 」という会話のもと、しぶしぶ認められるという日々。大竹が「おれは病気になるぞ、絶対に」といえば、私は「なったら店、終わりますね」と冷たく言い放つ日々。それもこれも、ほかに店をみる人が「いない」せいだった。音をあげた大竹は、店の中といい外といい、特売セールの広告といい、ありとあらゆる場所に「パートさん募集」と記した。その7文字には、「なんでもいいの、わたしたちをタスケテ」という叫び声が含まれていた。
 公募してから約一週間。パート募集のポスターを見ました、という女性が数人訪れた。大竹は熱心に面接し、情熱を込めて質問を繰り返した。「就職の予定はないかね? 」「結婚の予定は?」……つまるところ、「すぐ辞めない人を雇いたい!」の一点のみを問題にしているのだ。
 そんな中、二人の女性が面接をパスした。一人は、来年秋に結婚予定の伊藤さん。もう一人は、すでに新婚の小池さん。「結婚予定の人でもよかったんじゃないですかー」と私が責めると、「一年働いてくれるというのなら、わたしはもうそれだけで」と泣かんばかりの大竹。気持ちはわかる。
 さて、いよいよパートさんが来る、第一日目。いつもより早く大竹は出社する。「おはよう! 」笑顔がまぶしい。「おはようございまーす」パートさん二人も、元気よく挨拶しながらやってきた。店の中に、店員が4人もいるという贅沢に、わたしは目がくらみそうである。
 彼女たちを前に、大竹は言う。「岩田さんは君達の先輩になるわけだから、彼女の言うことをよく聞いて、早く仕事を覚えるように」。せ、先輩。大竹から一度も持ち上げてもらったことのない私は、全身にどっと汗をかいた。先輩だって。どうすればいいの。
 「よろしくお願いしまーす」かわいらしい二人が、そろっておじぎをする。「こちらこそ〜」私も慌てて頭をさげる。大変だ。どうやら私は、なんだか自分でもよくわからないままやっていた仕事なのに、それをひとに教えてあげなくちゃならない立場になったらしい……。

■行方不明のラベラーちゃん

 翌日から、パートさん特訓が始まった。とはいえ、やっとつかまえたパートさんのご機嫌を損ね、またあのつらく悲しい日々に逆戻りなんてことは絶対に許されない。大竹、いつもの勢いはどこへやら、「コーヒー飲むか? 」「疲れたら休めよ」……やったらと優しい。
「岩田さん、店長ってめちゃめちゃ優しい人なんですねー。こんなよくしてもらって、なんだか悪いみたい」
「そうそう、なんか天使みたいよねー」
 お二人が声をそろえ、店長をほめたたえる。想像だにできなかった光景だ。
「そ、そーなのよ。優しいの。こんないい職場、めったとないわよー」
 わたしはうそつきでしょうか。ごめんなさい、神様。でもやっぱり、ほんとのことはとても言えません。大竹が、実はとっても大竹だってことが彼女たちに知られたら……あっという間に、あの地獄の日々の復活です。神様ごめんなさい。どうか、それだけはお許しください。
「んでは、仕事の流れから説明します」
 良心の呵責をふっとばすべく、私は元気よく特訓開始の宣言をした。わたしは、最初の一週間彼女たちの教育係を努めることになっていた。自分が教育係をすると、たちまち正体がばれてしまい、彼女たちに逃げられてしまうかもしれない可能性におびえた大竹の妙案だった。大竹、結構ご自身を知っていらっしゃる。

 レジの使い方、商品の並べ方、荷物の確認の仕方、商品の基礎知識。最初はこんなもんだろう。まず第一日目として、入荷された商品を店に出すところからはじめる。
「簡単よ。同じものがあるところに並べるだけだから。値段は、同じものがあればそれをつけてちょうだい。商品がまるで残ってなかったら、こっちのレジで値段を確認します」「はーい」
 二人は勢いよく、商品を手に店に出ていく。てきぱきと商品を並べる姿を見て、私は一人悦に入る。うんうん、素直だし飲み込みは早いし、二人ともいい人材だった。大竹の人を見る目は、確かだったようだ。なんたって、私を採用したくらいだもの。人を見る目があるのはわかっていたんだけどさ……。
「あの、ラベラーちゃんがいないんですけど」
「ラベラー……ちゃん? 」
 カウンターに戻ってきた小池さん、あどけない笑顔を浮かべたままで「そう、ラベラーちゃん」と繰り返す。
「あ、小池さんがさっきもってたラベラーのこと? 」
 ラベラーちゃんの意味が把握できず、ぽかんとしている私の横から、伊藤さんが助け船を出す。あ、ラベラーね。そか、さっき持ってたものね。それにしても、なんでラベラーごときに「ちゃん」がついてしまうのだ? 疑問符だらけで小池さんを見る私。が、彼女はいっこうにそれを気にするでもなく話を続けている。
「そうそう。あの子、突然失踪しちゃったの。さっきまでちゃんとわたしのそばにいてくれたのにー」
 あの子。ラベラーが、あの子。
 まだ会話についていっていない私は、ただぼんやりと二人の会話を聞いていた。
「商品、店に出してたでしょ? その時どっかにおいてきたんじゃない? 」
「そうかなー。ちゃんともってたはずなんですけど」
 伊藤さん、急遽小池さんのラベラー(商品に値段のついたシールをつける機具のことである、念のため)捜索に入る。と、ほどなく彼女はラベラーちゃんを手に戻ってきた。
「ありましたよー。すっかり冷えちゃってるけど」
「ご苦労様。で、どこにあったの? なんで冷たくなっちゃってるの? 」
「それが、あの」
 伊藤さん、うつむいて答えにくそうに答えた。
「栄養ドリンクの冷蔵庫の中にあったんです。リポDの上で、冷たく冷やされてました」「あーそうそう。最初に私、リポD出したから」
 小池さん大喜び。ラベラーちゃんとの再会に感激している様子だった。
 ちなみに、ラベラーを冷蔵庫で冷やしたヤツなんてのは、4店舗合わせても彼女が初めてである。教育係であるはずの私は、すっかり任務をあきらめてカウンターにつっぷしてしまった。

 それからだった。ラベラーと小池さんは、お互いよっぽど相性が合わないのかなんなのか、一日一回は大捜索を行って小池さんのラベラー探しをしなくてはいけない羽目に陥ってしまっていた。ある日、ラベラーちゃんは使い捨てカイロの箱の奥深くに沈み込まされていた。また別の日、ラベラーちゃんはお菓子コーナーのポテトチップのお友達になっていた。こうして、ありとあらゆるところからラベラーが発見され、そのたびに小池さんの名前が連呼されるようになった。
「小池、またラベラー落ちてたぞ」
 大竹がさもおもしろそーに言う。実は5回に1回の割合で、伊藤さんがどっかに忘れてきたこともあった。が、だれもがラベラーの姿を見かけると小池さんの名前を呼んでしまう。
「不公平だわっ」
 ぷっと頬をふくらして、小池さんが怒った。それでも、5回に4回はほんとに彼女が忘れてきているというのは、厳然たる事実である。つまり、4/5の確率で、小池さんの名を呼ぶのが正解だってことになるのだからしょうがないと思うのは私だけだろうか?

■タオルのカースト制度、始まる

 あ、洗面台のタオルがない。
 洗ってあるタオルがおいてある場所から、新しいタオルを探す。
「ね、これ使ってもいいかなあ」
「さあ、わたしにはなんとも……」
 大竹が口ごもる。
 一枚のタオルの前で、私たち二人はさんざん話し合うことになる。このタオルは使ってもいいものなのか、悪いものなのか。
「タオルですか〜? 」
 ここで、タオル委員たる小池さんのお裁きが入る。
「あ、それはだめです。それはトイレのタオルです。ちゃんと書いてあるでしょ」
 タオルを広げてみると、そこには黒マジックで「トイレちゃんよん(はあと)」と書いてあった。
「ね。全部書いておきましたから、洗面台にはちゃんと洗面台用のを使ってくださいねえ」
 タオル置き場から、全部のタオルを出して点検する。「あたしはぞうきんちゃんです」「台所用ですよん」「洗面台のタオルちゃんです」……ほんとに全部書いてある。たいした根気である。しっかし……ここでも「ちゃん」なんですね。脱力。
「ほんとになあ。店長であるはずの私が、タオルも自由に使わせてもらえないなんて」
 大竹がしょげ返る。以前、自分で勝手にタオル置き場からタオルを出して使い、「あーそれはだめです! それ、トイレのタオルだって書いてあるでしょ! 」と小池さんにがんがん怒られた覚えがあるので、それ以来大竹はタオルを使うことに異常な神経を遣うようになってしまったのだ。ここに、「タオル委員」である小池さんが誕生してしまうことになった。
 小池さんという人は、とてもきれい好きなようだ。いいかげん、乱雑、不潔は許せないタイプらしい。事務所の台所は、あっという間に美しく整えられてしまった。カップはここ、ポットの下にはきれいなミニタオル、お菓子置き場、すべてにきれいなカバーがかけられていった。まさに「改革」である。
「小池さん、コーヒーいれてくれるか」
 大竹が頼むと、小池さんはさっと台所に立ち、コーヒーをいれながら
「それはいいんですけど、漂白剤買ってください。ここのカップ、一回全部ブリーチかけないとだめですよ」
と、交渉を始める。これに懲りて、最近の大竹は自分でコーヒーをいれる。
「コーヒー一杯がかなり高くつきそうだからな」
 ひとりコーヒーをすすりながら、大竹は私に愚痴をこぼした。まさに、下克上。昔の大竹のワンマンぶりはどこへやら、今やすっかり小池さんの天下である。あーおもしろい。 今後、小池さんがこの店をどんな風に変えていってくれるのだろう。この日記のネタのためにも、今後の彼女の活躍に期待してしまう私であった。


◆執筆者後記
 三重は意外と雪深い。雪が降ると、車は止まる。車が止まると大竹は出社できないらしい。おかげで、雪の季節わたしは休むことなく薬局に通い、店を開けることになってしまった……。大竹、たまには店に泊まりこむくらいの根性見せてみろってんだ!