« イペタムの刀鞘 | メイン | PDA博物館サイト、公開! »

日めくり四十八手、配信!

 app storeに登録したら、リジェクトされてしまった「日めくり四十八手」。陰郎さんの研究によると、レーティングの設定が違っていたらしい。これを17+にし、スクリーンショットに出していたポーズ人形の体位説明ページを削除して差し替えてみたところ、本日めでたく公開となった。よかった、よかった。一安心である。

 過激なタイトルと、過激なポーズ人形の写真ばかりが目立ってしまうが、実はこれ、有名な歴史小説作家、鈴木輝一郎氏の手による、とても貴重で価値のある歴史雑学書なのである。特別に、その内容の一部を引用させていただく。




宝船(たからぶね)
【分類】 女性上位
【解説】 男性の上に女性が横向きにのる体位で、女性の体を安定させるため、男性があげた片足を、女性が股にはさみ抱きしめる。帆をあげた宝船に見立てて名づけられた。男性が足をあげていないものは<横茶臼><十文字がけ>と呼ばれる。


 宝船そのものは縁起物の印刷物です。帆掛け舟に七福神と金銀財宝(珊瑚とかですね)、鶴と亀を描いたもの。枕の下に敷いて吉夢をみる縁起物です。ま、ここまでは『広辞苑』ひけばすぐに出てくる話ですわな。

 江戸時代には初夢をみるためのもの、ということでしたが、江戸時代の百科事典『守貞漫稿』によれば、もとは節分の夜の行事だったそうな。例に洩れず元は禁中(天皇家)の行事で、宮中で使われたのは舟に米俵を積んだ簡素なもので、しかも板に刷られたものだから毎年つかいまわす、とのこと。これは足利幕府の時代に献上されたそうな。いわれてみれば、どの資料をひっくりかえしても、江戸時代以前には出てきませんね。まあ、「ないこと」の証明は例外なく難しいものなので、なんともいえないものではあるのですが。

 江戸時代も下り、天下泰平となって印刷物が容易に入手できるようになると、『際物売り(きわものうり)』という季節モノ専門の行商人が売り歩いて、正月二日の夜に江戸の庶民が枕の下に敷いた。図柄もほぼ伝わっています。七福神または「宝づくし」で、この「宝づくし」の「宝」は、丁子・打出鎚・分銅・かくれ蓑・隠れ笠などだそうな。もちろん正月のこととて、どうせ売るなら、ってことで宝船と道中スゴロク(バックギャモンじゃなくて人生ゲームのほうね)を一緒に売った由。

 で、これはなぜだかよくわからないんですが、京都・大阪・江戸の三都のうち、京都・大阪では宝船を枕に敷く風習は消えちゃったそうな。江戸だけの風習です。でも、京都・大阪・江戸の三都とも『一富士、二鷹、三なすび』を吉夢にしてたのは共通してたんだと。

 江戸時代は参勤交代があり、地方と中央との文化交流が今よりさかんだった。──ええと、ぜったい反論があると思うので申し上げておくと、現況は「東京からの文化が一方的に地方にいきわたっている」のであって、「地方の文化が江戸に持ち込まれた」相互交流の参勤交代とは事情が違います──だから、ここいらの地域差は、なぜでてくるのかな? 

 ついでながら七福神は狩野派の絵師がはじめたらしいんですが、『守貞漫稿』では「狩野松栄(狩野永徳のお父さん。信長とか秀吉の時代の絵師)の描けるより古きはなし」とのこと。ひょっとしたらもう少し古い時代のものが発見されているかもしれませんが、戦国時代に七福神をならべるのを思いついたのは、暗示的ではある。

 しかしなー。思うんですけどね。「いい夢をみた場合、醒めたらとってもムナシクなるんじゃないか?」なんてね。ちとペシミスティックすぎるか。

himekuri_icon.jpg

コメント (3)

goya:

本日購入しました。
主に深夜読むようにします。
昼間は流石に。
まあゆったりと進めます。

真花:

ご購入、ありがとうございます!
昼間読んでも大丈夫ですよ。
ポーズ人形のページでなければ…

Cool post . Thank you for, commenting on my blog dude. I shall email you soon! I did not realise that!

コメントを投稿