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ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち



 ケータイ小説から読み解く、今の若者文化のキーワードは、浜崎あゆみ、郊外型ショッピングモール、ヤンキー、コミュニケーション依存とDV恋愛。現代の若い女の子たちは、痛いことや辛いことがあっても、それを尾崎豊のように外敵に向けて発散するのではなく、浜崎あゆみの歌詞のように自分の内部を見つめながらモノローグをつぶやくという。実に内省的で、自己犠牲精神が強い。


 ほかにも、ユニークな特徴がいろいろある。彼女たちは、かつての若者のように、学校を卒業しても地方から中央(東京)へむかいたいという気持ちはない。できれば地元で就職し、地元で結婚して昔の仲間と仲良くやっていきたいと思っているようだ。つまり、横のつながりを大切にする傾向にある。これは、「ヤンキー」にありがちな傾向で、実際、彼女たちのカリスマである浜崎あゆみや安室奈美恵は、「コギャル」ではなく「ヤンキー」に近い存在…かつての山口百恵や中森明菜の流れの中にある、笑わないディーバの末裔なのだそうだ。


 私が痛ましいと思ったのは、彼女たちが、彼氏に殴られたり、行動を監視されることに対して「嫌だ」と拒絶するのではなく、「それが彼の愛」だと甘んじて幸せすら感じるということ。そんな彼女たちは、立派な DV被害者予備軍だ。たしかに、流行っているケータイ小説には、そんな彼女たちが共感するだろう自己犠牲的な精神をもつヒロインが登場し、さんざんな目に遭う。ひどい経験を重ねながら、最後には本当の幸せ、本当の自分を見つけ出していくというものが多い。


 おもしろいことに、そんな彼女たちが最後に見つける彼からの愛のメッセージは、黒板に書かれたイタズラ書きや日記など、相手に届かないことが前提となっているアナログなメディアに書かれているケースが多いそうだ。ケータイでコミュニケーション依存になっている若者が、最後に自分を見つけ出すときに使うのが、ベタなアナログメディアであるという点も、実に興味深い。



ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち