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薬局日記(2)

●大竹、ぶーたれる。

 その日の大竹は、朝からあまり機嫌がよくなかった。この大竹というのは、薬局の店長につけた仮の名前である。本名はもっと違った名前なのだ。井上とか、山田とか、そういったごく普通のありふれた名前なのだが、オンラインで発表する文に本名で登場させるのはいささか気がひけるので、また気がひけるようなことを書こうと思っているので、ここでは仮名にさせていただくことにする。なお、なぜ「大竹」なのかというと、かの「大竹まこと」に顔も性格もとてもよく似ているからである。なんとおそろしいことであろう。かの大竹まことが自分の上司だったらと、一度想像してみていただきたい。出社拒否になりこの店を辞めていったたくさんのパートさんたちの気持ちが、きっとかなり理解できるようになるであろう。
 その朝、私は特売の準備のため、普段より30分も早く出勤した。ただでさえ原稿の締め切りが迫っていて(クイックサンドの編集部さん、どうもごめんなさい……)ロクに睡眠時間もとれないというのに、特売のためにこうしてわざわざ早く出勤してあげるなんて、私ってなんて偉いのでしょうと自画自賛しつつ、お店に入っていった。そこには、さらに早くから出勤している大竹がいた。そこで私は、作り笑顔で元気に彼に挨拶をしてみた。
「おはようございま〜す」「なっとらん!」「??????」
 おはようございます、といえば、たいていの人はおはようございますと返すことになっている。ところが、こともあろうに「なっとらん!」と返ってきた日には、とっさに何をいえばいいのかわからない。わけもなく、あたふたとうろたえてしまう自分が情けない。
「え、なっとらん? わ、わたしがですか?」
 おそるおそるたずねる。大竹、ぎろっと私をにらみつける。
「なんで岩田さんがなっとらんのだ。あんたのことじゃない」
「す、すみません」
 なんで謝らなきゃなんないのかよくわからないけれど、大竹ににらまれるととりあえず謝りたくなるのが不思議である。30分も早く出勤したという自己満足は一気に消し飛び、私はこそこそと着替えに走った。なんだかわからないけど、今日の大竹は機嫌が悪いらしい。できるだけ触らないようにしよう、と強く心に誓った。白衣に着替え、勝手に特売の準備を始める。大竹、わたしをじっと見ていた。なにかいいたげな表情だが、私はそそくさと店の掃除に走る。とにかく彼の視界に入ってはいけない。まるで獰猛なハンター犬に狙われたバンビ(んなかわいいもんか)になった気分で、なによりも今日という日に仕事にパートに来てしまった自分の不幸をなげき、呪った。

●ドタキャンの理由はどうであれ……

 大竹の不機嫌は、どうやらもうひとりのパートさんのドタキャン(解説:土壇場でキャンセルすること)が原因らしい。
「いそがしいのはわかっているのに、どうして休めるかなあ」
 大竹は、鼻息荒く私に言い放つ。わたしに聞かれても、理由がわからないのでなんとも答えることはできない。あいまいに笑うと、「その笑い、日本人の悪いくせだ」とどなられ、また謝ることになる。とほほ。と、大竹ため息をひとつ。
「なんでも、旦那さんのおかあさんが入院したんで、看病しなければならないそうだ」
「まあ、大変ですね。それじゃ、しょうがないですね……」
 なんだ、ちゃんとした理由があるんじゃないか。うっかり彼女を擁護するような発言をしてしまった私は、結局もう一度謝らなくてはならない羽目に陥ってしまう。とほほほ。「なんでしょうがないんだ。そんなの、昨日のうちに連絡できる話じゃないのか。今日になって突然来られないといわれたって、代わりの人を手配する暇はないだろう。こちらが困るのはわかっているじゃないか」
 大竹、いささか手前勝手だとはいえ、筋道はきちんと通った愚痴をいう。うんうんとうなづきながら、でも病気って突然かかるものだから、お葬式といっしょで予定の組めるようなもんじゃないよね、と軽く心の中で反論してみる。だけどさっきやっちまったようなヘマは繰り返したくないので、口にはしない。私だって、学習する能力ぐらいは持ち合わせている。
「とにかく昼から、ゆかりちゃんが応援に来るから」
 ゆかりちゃん(これも都合により仮名。彼女はまだ18才。妙なことをここに書かれてしまい、ついにお嫁にいけないようなことになってしまっても、私には責任能力がないから)は、やったら美人である。KDDのコマーシャルで「ゼロゼロワンダフル」とかいっているのが似合いそうな美人である。男だけでなく女も面食いである私は、彼女が一番おきに入りだったりする。ゆかりちゃんが来るとなれば、勇気百倍。今までの不幸も倍にして返すというものだ。

●ゆかりちゃん(仮名/18才、美人)とおやつ

 午後になり、ゆかりちゃんが登場した。彼女は、美人なだけでなくやたらと勢いがいい。
「岩田さーん!」
 昼休みから戻ってきたわたしに、カウンターから元気に手をふってくれる。
「ゆかりちゃーん!」
 わたしも手をぱたぱたと振り返す。大竹、調剤室からうんざりした顔でこちらを見ている。やばい、と再び縮こまりながら着替えに走る。どうやら、まだご機嫌は治っていないらしい。
「ちょっとお昼を食べにいってくる」
 わたしがカウンターに戻ると、大竹はそれと入れ代わるように店を出て行った。もちろんその前に、私とゆかりちゃんに仕事の指示をするのを忘れはしない。大竹は合理的な考えの持ち主であり、ここの管理者でもあるので、少しでもパート代を無駄にしたくない。店にいる間は、思いっきり働かせる主義である。あっぱれ。
 が、大竹はまだまだ甘い。ゆかりちゃんという子をわかっていない。
 彼女は大竹がいないとなると、にっこり笑って私のそばにきてこういった。
「岩田さん、お茶にしましょう」
「はい」
 一も二もなくおーけーである。自動販売機からお茶を買いに走った。戻ってみると、彼女はなんと店の商品のお菓子を買っている。
「ついでだから、お菓子も食べましょ」
 にっこり。この笑みの魅力に抵抗できるはずもない。「そんなことをしてはだめ、今日の大竹は機嫌が悪いの、きっと見つかったら危険よ」といいたい気持ちは、あっさりとくじけてしまう。
「はい、そうしましょ」
 わたしもにっこりを返す。心をよぎった悪い予感は、気がつかなかったことにする。

●大竹の沈黙

 ミスティオを飲みつつ、オーザックを食べておしゃべり。とても勤務時間とは思えない。わたしとゆかりちゃんは、女の子らしいうわさ話に花を咲かせる。あのメーカーのセールスマンは赤井秀和に似ているだの、あのメーカーのおにいちゃんは結構いけるだの、そういった他愛ない話だ。
 と、いきなり大竹が帰ってきた。
 昼休みは普通、1時間ほど戻ってこないことになっている。ところが、今日に限って30分そこそこで戻ってきてしまったのだ。ゆかりちゃんとわたしは、とっさにカウンターに走る。
「いらっしゃいませ!」
 店に入ってきた客がのけぞるほどの大声が二人分響き渡る。大竹は、わたしたちをちらっと見て調剤室へ入っていった。やばい。調剤室の机の上には、無防備な姿のオーザックさんが置き去られたままだった。ゆかりちゃんをみる。
「なんかヤバくないですか?」
 のーんびりと彼女は私にいう。きっととてもとてもヤバいはずよ、と目で答える。
「いいですよね。いざとなったら、店長にもオーザック食べさせてしまいましょう」
 ゆかり、おそるべし。
 カウンターで接客に追われる私達。タイミング悪く、メーカーのセールスマンがどんどんやってきちゃあ調剤室に入っていく。ああ、そこに入っていかないで。そこには私たちのオーザックが……。
 やがて、セールスマンのお兄さんと大竹が調剤室から出てくる。さぞ怒っていることだろうと思い、彼のほうをみることもできない私たちだった。それでも勇気を振り絞りちらっと大竹の背中をみる。と、大竹突然振りかえった。目があっても黙っている。なんでもなさそうな顔で、仕事を続けている。
「オーザック、見ましたよね、店長」
「そりゃ見たでしょ。あそこにおいてきたんだから」
「でも何もいいませんね……」
 顔を見合わせるわたしとゆかりちゃん。沈黙がおそろしい。いっそ、怒鳴ってくれたほうがよっぽどすっきりするというものだ。それを知ってかしらずか、素知らぬ顔でずっと仕事を続ける大竹。ごめんよーと、足元にすがりたい。許しを乞いたい。

●帰宅時間、逃げ去る。

 大竹は沈黙したまま。
 さしものゆかりちゃんも、段々元気をなくしていく。
 と、商品のタイマーに四苦八苦している大竹を発見。なにをしてるんだろう。わたしとゆかりちゃんは、その姿をそっと盗み見る。それに気がついた大竹、困った顔して一言。「これ、ポケットベルと違うんか?」
 未だ緊張のとけていない私は、とっさに意味を把握することができず、もう一度その質問を頭の中でくり返してみる。なんだって? タイマーがポケベル?
 と、ゆかりちゃん、突然爆笑し始める。
「やだー店長。それタイマーですよ。んもー店長ったらー」
 ゆかり、おそるべし。あまつさえ、店長の背中をばんばんぶったたいている。
「ポケベルだってーポケベルだってー。いいじゃん店長、このタイマーもって歩いてごらん。いつかベルなるかもしれないよ」
 なんてことまで言ってしまっている始末。
 じりじりと後ざすりする私。ぷるぷる震えている大竹の肩。あまりの恐怖にめまいがしそうである。しかし、ゆかりちゃんはまだ笑っている。こいつ、恐いもの知らずにもほどがあるというものだ。
 が、他人の身の心配をするより先に、私は私を守らなくてはいけない。
「あ、わたし時間ですね。もう帰ります」
 退社時間より10分ほど早かったが、なにしろ出社が30分早かったのでいいことにしてしまう。容赦なく、そそくさと帰宅準備を始める私。が、それでもなお「もー店長ったらお茶目なんだからー」。ゆかりちゃんは、爆笑の手をゆるめない。大竹は、耳まで真っ赤にして耐えている。
「さようならー」
 逃げよう。こういう時は、とにかく逃げるに限る。
 まだ笑っているゆかりちゃんの幸運を祈りつつ、店という震源地からできるだけ遠くをと、駆け出してしまう私であった。


◆執筆者後記
 友達から手製の絵葉書をもらった。屋根の上に猫が座っている。
 そのまあるいお尻がどことなく作者を思い出させ、ここんとこしばらく見ていない彼のまあるい面影を追いかけてみた。