【車旅】補陀落山寺と補陀落渡海

那智駅から5分ほど歩いたところに、補陀洛山寺があります。もともとここに行くつもりはありませんでしたが、友人から聞いた話があまりにも衝撃的で、一度見てみようと思ったのです。

補陀落山寺の「補陀落」とは、サンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある観音菩薩の住まう浄土のことを指します。この補陀落を目指して船出することを「補陀落渡海」といい、補陀落山寺は「補陀落渡海」の出発点として知られています。

「補陀落渡海」とは、30日分の食料と灯火のための油を載せた小さな屋形船に乗り、そこから浄土を目指すという修行。日本国内の補陀落の霊場は、那智の他に高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがありますが、記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち半数以上が熊野那智で行われていたそうです。

お寺の境内には、復元された尾形船が展示されています。中はとても狭く、人ひとりが座禅を組むスペースしかありません。扉は外から釘で打ち付けられていたので、外には出られません。荒波に飲まれたら、ひとたまりもないでしょう。

当然、そんな状況で生きていられるはずはないので、この船に乗る僧は死を覚悟していたのでしょう。補陀洛山寺のことを教えてくれた友人は「究極の捨身行」と表現していました。船に乗るとき、恐ろしくはなかったのでしょうか。「やっぱりやめます」という人はいなかったのでしょうか。

気になって調べてみると、戦国時代に渡海しようとして途中で怖くなり、尾形船を破って逃げ出した僧がいたとのこと。しかし彼は役人から海に突き落とされ、死んでしまったそうです。この事件がきっかけとなり、江戸時代からは生者の補陀落渡海はなくなったとのこと。

僧の人間らしい一面を知って「そりゃそうだよね」と思う一方で、命を捨てても浄土にたどり着きたいという強い信仰心にも惹かれます。強い想いに突き動かされて想像以上のことを成し遂げるのも、人間が持っている特性のひとつかもしれません。

井上 真花(いのうえみか)インタビュアー

投稿者プロフィール

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。日本冒険作家クラブ会員。

長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。

主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。

プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。ライフワークは「1000人に会いたいプロジェクト」

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