過ぎた正義は、誰のためなんだろう

レビュー&コラム

YouTubeを眺めていたら、CHAGE and ASKAの「YAH YAH YAH」をカバーしている人がいた。サビはただ「ヤーヤーヤー」と繰り返すだけで、言葉らしい言葉はない。それなのに、聴いているとなぜか元気が出てくる。ヤーヤー言っているだけなのに、大ヒットした曲だ。そういえば、チャゲアスにはいい曲が多かったよな、と思う。でも、メンバーに問題があって以降、あの人たちの曲を耳にする機会はずいぶん減った。いい曲は何も変わっていないのに、社会の「正義感」みたいなものに潰されて、そっと棚の奥にしまわれてしまった。そんなイメージがある。

不思議なもので、この曲、よく聴くと「掴んだ拳を使えずに言葉を失くしてないかい」なんて歌っている。言葉どころか、存在自体をなくされそうになっていた曲なのに。おかげで僕は、正義って何なんだろう、と考え込むことになった。

曲は、悪いことをしていない

正義感は、たいてい誰かを裁くときに顔を出す。たとえば、不倫が報道されると、大問題になる。政治家なら辞任だ。法律違反や非人道的なことがあったとされれば、その人がそれまで積み上げてきた活動や作品まで、まるでなかったもののように扱われていく。それってどうなんだろう、と思う。

その人がどんなことができて、社会に対して何を提供してきたのか。そういうものが全部あったうえで、それでも「社会的に問題」とされた瞬間に、まとめて抹殺される。曲は、何も悪いことをしていないのに。

作品はその人の行いと関係ないはずなのに、そんな理由で消されて、見えなくされていく。目に見えない世間の空気によって、目に見えるものが見えなくなっていく。この気持ち悪さが、うまく言葉にできない。

差別は、往復する

似たようなことは、差別にもある気がする。原発事故で避難を余儀なくされた子どもたちが、「放射能がうつる」といじめられた、という話を思い出す。避難してきた側は、そのとき自分たちを異質な存在として突きつけられたんじゃないか。そんな経験をしている中で、周りを信用できるだろうか。たぶん、できない。仲間と、仲間じゃない者。人はどこかで線を引いてしまう。

しかも、その線は一方通行じゃない。差別されてきた側が、今度は別の誰かを弾く、ということも起きる。差別に差別で返す。その応酬は、どこかで止まるんだろうか。

蝶は、前の世を覚えている

恐怖、嫌悪が続いていくのは、もしかすると気持ちの問題だけじゃないのかもしれない。そう思ったのは、ある小学生の研究を知ったからだ。彼はアゲハチョウの幼虫にラベンダーの匂いを嗅がせながら不快な刺激を与えて、「ラベンダー=嫌なもの」と覚え込ませた。すると、羽化して蝶になったあとも、多くの個体がその匂いを避けた。さらに驚くのは、その傾向が子や孫の世代にまで受け継がれていったことだ。一度も嫌な思いをしていないはずの子孫が、ラベンダーを嫌う。

僕がこの話に惹かれるのは、蝶という生き物のせいもある。イモムシと蝶は、体の作りがまるで違う。サナギの中で一度どろどろに溶けて、葉っぱをかじっていた虫が、花の蜜を吸うものへと作り直される。あれはもう、生まれ変わりみたいなものだ。イモムシが前世で、蝶が今生。それなのに、前の世で覚えた恐怖が、次の体にも、その子にも引き継がれていく。

人にもきっと似たところがある。爬虫類や鳥類が妙に苦手な人がいて、あれは大昔に捕食されていた頃の記憶の名残だ、なんて説明を聞くと、まったくの与太話とも思えない。先祖の嫌な経験、危険な経験が、体のどこかに刻み込まれて継がれていく。だとすれば、差別の応酬もまた、そうやって静かに引き継がれていくのかもしれない。誰が始めたのかもわからないまま。

ブルーアイズの話

もうひとつ、目の色の話がある。ソウルミュージックの世界では、黒人以外のソウル歌手を「ブルーアイズ・ソウル・シンガー」と呼ぶらしい。青い目のソウル。ソウルを歌うのに目の色なんて関係ないだろうと思うのだけれど、どうやら世の中はそこも気にするらしい。そして、その「ブルーアイズ」という言葉を知ったとき、なぜか息子のことを思い出した。

うちの息子は中学生の頃、遊戯王に出てくる「ブルーアイズ・ホワイトドラゴン」が好きすぎた。ある日、飼うことになったハムスターを見て嬉しさが振り切れてしまったらしく、その子に名前をつけ始めた。「ハムピロス・ブラックドラゴン・ピッキーダッシュ・プレイステーション・ニンテンドー64・ダークアイ……」と、好きなもの、大切なもの、今の気持ちを片っ端から詰め込んで、まるで落語の寿限無(じゅげむ)のようになっていった。

嬉しすぎて興奮して、名前が寿限無化したんだと思う。その夜、息子はケージの前から動かず、ハムスターを眺めたまま寝落ちしていた。いつまで見ていたんだろう。よっぽど可愛かったんだろうな。

名前が長すぎて、間に合わなかった話

寿限無といえば、と続けたくなる。落語をテーマにしたアニメ「あかね噺」に、「寿限無」を演じるシーンがある。あの、やたらと長い名前を連呼する、おめでたい噺だ。作中で、もともとの寿限無は最後に子どもが死んでしまう話だった、という切り口が出てくる。

子どもが川で溺れている。でも名前が長すぎて、それを何度も言って状況を伝えているうちに、時間だけが過ぎていく。子どもが短命だった時代、長生きを願ってつけた過剰に長い名前が、かえって命を奪ってしまう。過ぎたるは及ばざるがごとし。なんとも物悲しい話だ。

名前ひとつでも、過ぎれば命に関わる。だとしたら、過ぎた正義はどうなんだろう。あいつが悪い、あんなことをしたのが悪い、社会が悪い。そう言い続けているあいだに、目の前で溺れている何かを、僕らは見落としていないだろうか。

そういえば、あの曲はこう歌っていた。掴んだ拳を使えずに、言葉を失くしてないかい、と。誰かを殴りに行くためじゃなく、大事なものの名前を呼べるように、その拳をひらいておきたい。正義を振りかざしても、あまりいいことがない気がするから。

秋葉 けんた

IT系のライティングを担当。 書籍、雑誌、業界誌やWebコンテンツなど、コンシューマからB2Bまで幅広く執筆。また、広告やカタログ、導入事例といった営業支援ツールの制作にも携わる。年間におよそ200件の原稿を執筆。●これまでの主な仕事 PC/周辺機器(CPU/DVD・BD・HD DVD/LCD/プリンタなど)、基幹システム(CRM/ERP/SFA/SOA/帳票など)、ストレージ(SAN/NAS/LTO/SASなど)、セキュリティ(BIOS/UTM/情報漏えい対策/デザスタリカバリ/内部統制・コンプライアンス/ネットワークセキュリティ/メールセキュリティなど)、ネットワーク(KVMスイッチ/グループウェア/サーバ/資産管理/シンクライアント/ホスティングなど)、その他(.NET/BI/カタログ/各種戦略/導入事例/パートナー取材など)…ほか、多数執筆。●連絡先 メール:kenta@office-mica.com

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