「バカに民主主義は無理なのか?」という本を読み始めた。長山靖生さんのこの本には、こんな一文があった。
他人の生命より身内の安泰を優先する心理は、戦争からいじめにまで共通する精神の病理だ
いじめで人が命を落とす。戦争で子どもが犠牲になる。どちらもニュースでよく見る話だ。ひどい話だけど、どこか「自分とは違う、特別な誰か」がやっていることのように感じていた。
少し前、読書会などによく参加している妻がホッブズの『リヴァイアサン』について「人は放っておくと殺し合ってしまう、という話らしいよ」と要約してくれたことがあった。17世紀の思想家が書いた、あの有名な本だ。強い国家という仕組みがなければ、人はみな敵になり、殺し合う「戦争状態」に陥ってしまう。だいたいそんな内容らしい。
それを聞いて、僕は「そんなわけないでしょ」と笑っていた。さすがに大げさだ、と思ったからだ。
進撃の巨人が見せた景色
最近、アニメ「進撃の巨人」を見終わった。90話を超える長編で、内容はかなり重い。もともとは人と巨人の争いを描いた話だったのに、話が進むにつれて、人と人との争いへと姿を変えていく。
敵と味方、それぞれが自分たちの正義を語る。自分たちの幸せのために、相手を殲滅するのだと。見ていて思ったのは、これはホッブズが言っていた「戦争状態」そのものじゃないか、ということだった。身内の安泰を祈るために、他人の命を奪う。先日笑っていたその話が、フィクションの中で、恐ろしいほど説得力を持って描かれていた。
ホルムズ海峡とお弁当のパック
これって、報道やマンガ・アニメの中だけの話じゃない気がしてきた。世界各国で、今も戦争は続いている。今年の春には、アメリカとイスラエルがイランを攻撃し、その報復として、イランがホルムズ海峡を封鎖した。原油の価格が上がり、一見関係なさそうな建築資材や、お弁当のパックまで、手に入りにくくなったり値段が上がったりしている。
遠い国の争いのはずなのに、僕らの生活は、こんなにも簡単につながってしまう。だとしたら、他人と身内を分ける線は、そもそもどこにあるんだろう。
インドラの網、という考え方
仏教の世界には、インドラの網という考え方がある。宇宙は網のようになっていて、その結び目の一つひとつに宝石がついている。どの宝石も、他のすべての宝石を映し込んでいる。だから、一つの宝石が曇れば、他の宝石にも影響が出る。
これまでは、ただの美しいたとえ話だと思っていた。でも、ホルムズ海峡の一件を見ていると、これは案外、現実の話でもあるんじゃないかと思えてくる。世界がそんなふうにつながっているなら、他人と身内を分けること自体、あまり意味がないのかもしれない。
その境界線を本当に取り払えたら、身内の安泰のために他人を犠牲にするという、あの病理も、少しずつ和らいでいくのかもしれない。そんなことを、ぼんやりと考えている。