先日、昔からの知り合いと会った。近況の話をしているうちに、なぜか神社仏閣の話になって、こう言われた。
「神田明神にお参りしてるなら、成田山新勝寺はまずいんじゃないの。食合せが悪いよ」
神田明神は平将門を祀っている。成田山新勝寺のほうは、その将門の乱を鎮めるために不動明王へ護摩を焚いたのが始まりだと聞く。討たれた側と、討つために建てられた側。両方に手を合わせるのは、確かに据わりが悪い。なるほど、と思った。
良すぎるほうの食合せ
ただ、その人はこうも言っていた。食合せには二種類あると。一緒に食べると腹を壊すやつと、相性が良すぎて食べすぎてしまうやつ。うなぎと梅干しは後者だよね、と。
あれは体に悪い組み合わせではなくて、箸が進みすぎて食べすぎるから困る、という話らしい。薬も過ぎれば毒になる、というのと同じだ。
縁つながりで思い出したが、板橋に縁切り榎がある。高校生の頃、仲間とよく自転車で遊びに行っていて、その通り道にあった。悪縁を断ってくれる木、だったと思う。当時は仲間とつるむのが楽しくて、縁が切れるなんて発想がまるでなかったから、縁切りという響きがどうも好きになれなかった。今になって思えば、あれは悪い縁を絶つという、いい話でもある。言葉の響きがおどろおどろしいだけで、指しているものは悪くない。食合せも、その程度のことなのかもしれない。
良すぎるから、叩かれる
良縁と言えば、夏くらいに「りくりゅう」の婚約が発表された。フィギュアスケートのペア、三浦璃来と木原龍一の二人だ。オリンピックの演技を見ていて、この二人は距離が近いと思っていた。信頼という言葉より、もう少し先でつながっている感じ。一緒にいるのが当たり前で、公私ともにパートナーというか。だから、おめでとうと素直に思った。
ところが、この二人を叩いている人がいるという。年齢差がどうとか、交際を隠していたとか、理由はいろいろ言われているらしい。ただ、僕にはどれもあと付けに見える。結局は、仲が良すぎることそのものが、誰かの気に障っているんじゃないか。
妙な話だ。二人が仲良くしていても、叩いている人が損をするわけではない。関係のない他人の幸せなのに、自分に関わることのように受け取ってしまう人が、一定数いるということだと思う。
千年前に討たれた人と、討つために建てられたお堂。当人同士はもう何も気にしていないだろうに、据わりが悪いと言っているのは僕らのほうだ。知らない誰かの仲の良さを勝手に気にするという意味では、僕が今日していたことも、そう遠くない。
知り合いと別れた帰り道、そういえば新勝寺には行ったことがなかったな、と思い出した。今度、両方お参りしてみようと思う。うなぎと梅干しも、一度いっぺんに食べてみたい。今からちょっと楽しみだ。