昨年、九州から義父を東京に連れてきた。それまで義父は、九州の家でひとり暮らしをしていた。何を食べるか、今日何をするか、すべて自分の裁量で決められる暮らしだったらしい。
700メートル先のゴミ捨て場
義父は90歳を超えている。ここ数年で、車の運転が難しくなった。九州の家は海沿いの、風景のとてもきれいな場所にある。それだけに不便でもあって、近所のスーパーまでは4キロほど離れている。歩いていくのはとても無理な距離だ。そもそも足腰が弱ってきて、長く歩くこと自体が難しくなっていた。
一番こたえたのは、ゴミ捨てだったらしい。捨てに行く公民館まで、たった700メートル。それだけの距離を、車で行っていたという。その車の運転すら、もうできなくなった。
赤毛のアンの家
その家は、義父が退職後に、義母のやりたいことを全部詰め込んで建てたものだ。赤毛のアンの家をイメージした、海沿いの一軒家。家を建てて、生活の基盤をそこに整えて、やりたかったことを一つずつやり尽くしていく。そんな暮らしだったと聞いている。話を聞くだけで、いつもキラキラして見えた。
それが、車の運転ができなくなる、足腰が弱る。それだけのことで、あっけなく破綻してしまう。移住先だから、近くに親族もいない。遠すぎて、誰も手伝いに行けない。
一世代目の実験
義父たちは、核家族の一世代目にあたる世代なんだと思う。何代も家を継いでいくような、これまでの仕組みをやめて、しがらみもなく、自由な生活を選び取った。そういう人生だったのだろう。
今、義父は東京のサポート付き高齢者住宅で暮らしている。家の広さは、九州の頃とは比べものにならないくらい小さくなった。それでも三食用意されるし、何かあれば施設のサポートが受けられる。実際、コロナにかかったときも、救急車ですぐに病院へ行くことができた。体調の異変には、誰かが必ず気づく。適切な対処がされる。命は、長らえることができている。その代わり、自由にはある程度の制限がついた。
核家族というのは、まだ新しい仕組みなんだと思う。何代も継いできた家の制度とは、根本から違う。だから、まだうまくいっていない部分もあるのかもしれない。今はうまく回っているように見えても、それが将来にわたってずっといい仕組みなのかどうかは、まだ誰にもわからない。
義父は最近、物忘れが激しくなった。いろいろなことを忘れてしまう。ただ、忘れていく分だけ、どこか自由になっているようにも見える。あんなに広い家を手放して、車も運転できなくなって、散歩はもう1キロも歩けないのに。失うものの多さと、身軽さが、どういうわけか一緒に増えていく。