先日、東京国立博物館で開催中の「弘法大師生誕1250年記念 特別展『空海と真言の名宝』」に行った。弘法大師の生誕から1250年。真言宗の十八本山と関係寺院から集められた名宝が、四国霊場の札所と同じ八十八件、一堂に並んでいる。
髑髏の首飾りは、かっこいい
会場の中ほどで、足が止まった。重要文化財「深沙大将立像」。鎌倉時代、建久8年(1197年)に快慶が彫った像だ。
見た目は、率直に言って異様である。胸には髑髏を六つ連ねた飾り。腕には蛇が絡みつく。腹部には人の顔がひとつ。膝には象の顔があって、まるで象の頭を袴のように履いている。足の指は鳥の爪のように鋭く開き、波濤のかたちをした台座を踏みしめている。
正直、かっこいい。展示室を出てからも、その感想は変わらなかった。異形なのにかっこいい。これはたぶん矛盾ではなくて、異形であること自体が、かっこよさの一部なのだ。
運慶や快慶の彫るものが、僕は前から好きだ。仏像なのに、体つきがやけに生々しい。腹筋の割れ方、肩や腕の肉の付き、腰のひねり。木を彫っているのに、皮膚の下に体温があるように見える。以前、興福寺まで足を運んだこともある。あそこの小さな鬼——灯籠を担いで顔をしかめている、あの手のやつが、なんともかわいい。厳めしい仏の隣で、下働きの鬼だけが妙に人間くさくて、つい笑ってしまう。
深沙大将は、天竺へ旅した玄奘三蔵を砂漠で救い導いたとされる護法神で、『西遊記』の沙悟浄のモデルとも言われる。像の向かいには白描の「深沙大将図像」が展示されていて、快慶はこの絵をもとに像を制作したという。平面に描かれた異形を木彫へ翻訳する。八百年前の人の仕事とは思えない。いや、八百年前の人にしかできない仕事だったのかもしれない。
同じ会場には、東寺の秘仏「聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像」、通称「二間観音」も出ていた。普段は厨子に納められ、年に一度の修法でしか開かれない像だ。こちらは快慶よりずっと古い、平安の仏で、作者も別なのだけれど、金箔を細く切って貼りつける截金の文様が、レースのように細かい。梵天と帝釈天には、深沙大将とは対極の、静かでかわいらしい美しさがあった。かっこいいとかわいいは、同じ会場で両立するものらしい。
ついでに言えば、かっこいい仏像なら三十三間堂もいい。あの、ずらりと並んだ千手観音の列。一体一体は静かなのに、あれだけ揃うと壮観で、やっぱりかっこいい。異形の一体もいいし、整然と並んだ千体もいい。仏像の「かっこいい」には、どうやらいくつも種類があるらしい。
ひのきのぼうは、強かったのか
特別展のあと、そのまま平成館の一階へ下りた。考古展示、縄文のコーナーだ。
打製石器が並んでいる。石を打ち欠いて刃を作ったもの。尖らせたもの。そして、骨や木で作られた太い棍棒。展示ケース越しでも、あれで殴られたらとてつもなく痛いだろうと分かる存在感があった。
ロールプレイングゲームの「ひのきのぼう」を思い出した。ゲームの中では最初の村で買える、ほとんど飾りのような武器だ。でも実物の木の棒は、十分すぎるほど武器になる。ゲームの設定のほうが実態とずれていたのかもしれない。いや、あれはあれで、モンスターの強さを測る物差しなのだから、仕方がないのだけれど。
発掘は、遊びに似ている
石器を眺めていて、小さい頃、やたらと石が好きだったのを思い出した。道端に落ちている石を拾っては、ポケットに入れて持ち帰る。そういう子供だった。
遠足のとき、石包丁みたいな形の平たい石を見つけたことがある。これはすごいものを拾った、と嬉しくなって握りしめていたら、校長先生が寄ってきて、無言でそれを取り上げ、そのまま捨ててしまった。とがっていて危ないと思ったのだろう。理屈は分かる。でも、あのときの、宝物を没収されたような気持ちは、今でも少しだけ残っている。思えば、あれ以来、石を拾わなくなった気がする。
発掘という仕事は、山に入って、崖に露出した地層を掘り起こす作業のはずだ。遠目に見たら、それは子供の泥遊びと、あるいはあの日の石拾いと、どう違うのだろう。もちろん違う。記録を取り、地層を読み、一片の土器から何千年も前の暮らしを復元する。それが学問になる。
ただ、ひとつ思うのは、研究者というのは、あの日の僕みたいに石を取り上げられなかった人たちなんじゃないか、ということだ。拾ったものを「危ない」と捨てられずに、掘ることをそのまま面白がりつづけられた人。子供の泥遊びを、遊びのまま大人の仕事にできた人。だとしたら、ちょっとうらやましい。展示ケースの向こう側には、そういう幸福な地続きがあるのかもしれない。
縄文は、美術だった
帰り際、ミュージアムショップで『決定版 縄文美術館』という本を見つけた。土器や土偶、装飾品を集めた写真集で、シリーズの増補決定版だという。
立ち読みして、ああ、きれいだな、と思った。山梨や長野の博物館で実物を見たことがある土器も載っていたのに、本の中では別の顔をしている。撮り方の工夫もあるのだろう。同じ土器でも、撮る人の目によって、こんなに違って見えるものらしい。
それにしても「縄文美術館」というタイトルがいい。縄文時代の遺物を、考古資料ではなく「美術」として並べる。その視点は、日常の道具に美を見出した民藝の考え方に、どこか通じる気がした。名前を変えるだけで、見え方が変わる。美術館という言葉には、そういう力がある。
鉢は、空を飛ぶ
特別展の話に戻る。深沙大将と並んで印象に残ったのが、国宝「信貴山縁起絵巻」の「飛倉巻」だ。
信貴山で修行する僧・命蓮は、神通力で鉢を空に飛ばし、麓の裕福な長者の家まで托鉢に出していた。ある日、長者がそれを拒んで鉢を米蔵に閉じ込めてしまう。すると鉢は、蔵の米俵を一俵、また一俵と運び出し、しまいには蔵ごと空へ飛び立って、信貴山まで運んでしまった。長者は慌てて山を登り、命蓮と話し合って蔵を返してもらい、以後は毎年米を納めるようになったという。
絵巻の中で、蔵が空を飛んでいる。その光景は奇想天外で、見ていて楽しい。でも、少し待てよ、とも思った。
托鉢というのは、要するに寄付の依頼だ。寄付なら、断る自由があっていいはずである。長者は断った。それだけのことだ。なのに蔵ごと持っていくのは、どう考えてもやりすぎではないか。
それにしても、鉢を飛ばして自動的に集金するという仕組みは、どこか現代的だ。ほおっておいてもチャリンチャリンとお金が入ってくる。自動引き落としのサブスクリプションに近い。解約しようとしたら、違約金として倉庫をまるごと回収された——そう考えると、この絵巻は千年以上前の消費者トラブルの記録とも読める。もっとも信仰の物語としては、これは長者が悔い改めるための方便だった、ということになるのだろう。たぶん。
三十万円の名前
その帰り道、リニューアルしてきれいになった近所の神社の前を通った。社殿の脇に、寄付のお願いが掲示されていた。三十万円以上寄進すると、木の板に名前を記して、境内に掲げてもらえるという。義父が天草でお世話になっていたお寺でも、寄付者の名前がずらりと貼り出されているのを見たことがある。
ずいぶん露骨だな、とそのたびに思う。もちろん、社寺の維持にはお金がかかる。名前の掲示も、感謝の印だと考えれば不自然ではないのかもしれない。とはいえ、たくさん出した人の信仰はそうでない人の信仰より、ありがたがられるんだろうか、といつも考えてしまう。
もしかすると信貴山の長者も、似たようなことを思っていたのかもしれない。ただ、彼の場合は断った瞬間に蔵ごと持っていかれたのだから、こちらの戸惑いよりずっと切実だったはずだ。
罪は、お金で買えるか
宗教とお金といえば、授業で習った「免罪符」を思い出す。中世ヨーロッパの教会は、罪の赦しを金銭と引き換えに発行していたという。罪がお金で買えるなら、お金のある者はいくらでも罪を犯せる。その理屈のおかしさが、やがて宗教改革の火種になった。
そんな事を考えていたら、ブルーハーツの「青空」を思い出した。きれいごとの裏の欺瞞と、生まれや肌の色で人を分けてしまう理不尽を、まっすぐ突いてくる歌だった。うろ覚えだけれど、聴くたびに背筋が伸びる。
生まれや肌の色で人を判断して、争いが続いている場所は、今も世界に多い。免罪符の時代から、正義を掲げる側と踏みつけられる側の距離は、そんなに縮まっていない気がする。
世界のどこかで、今日も本物のミサイルが飛んでいる。ミサイルは高い。とてつもなく高い。そんなものがバンバン飛んでいく一方で、戦火を逃れた人たちは家をなくし、テントの中で食べるものにも困っている。ミサイル一発分のお金があれば、どれだけの人が食べられるだろう。それなのに、お金はミサイルになって飛んでいく。そして、人の生活を奪う。どんな循環だ。それ自体が、もう罪なんじゃないだろうか。
罪はお金で買えるのか。買えるとして、そのお金が買っているものがミサイルだとしたら、買う行為そのものが新しい罪にならないか。答えは出なかった。
帰り道、ふと空を見上げた。あの鉢は、今もどこかの蔵の上を飛んでいるんじゃないか。そんな気がした。