やっぱり岡本太郎は天才だったというお話

5月21日に東京を出発したハイエースの旅、超スローペースで西に向けて移動し、5月26日には大阪に到着して佳子さん夫妻と合流しました。秋葉さんが「太陽の塔を見て見たい」というので、万博記念公園の受付で「中に入れますか?」と聞いたところ、ちょうどタイミングよく「今なら大丈夫です」とのこと。そこで、4人で中に入ってみることにしました。

この万博が開催されたのは1970年。私は当時まだ小さかったので、万博のことはあまり覚えていません。しかし太陽の塔の中がとても怖かったことだけは、なぜか鮮明に記憶していました。その記憶をFacebookに投稿したら、友人たちから「太陽の塔に入って、怖くて泣いていた」「私も、当時中でギャン泣きした覚えが」というコメントが。そうだよね、私だけじゃないよねと妙に安心したり。

さて、ドキドキしながら入り口のゲートを抜けると、そこにはあの有名な「生命の樹」が。

一階から見上げると、こんな感じです。樹の下のほうには有象無象の古代生物が広がり、そこから上に向けて少しずつ生き物が進化していきます。これだけでも十分迫力あるのに、当時は生命の木の周りにディスプレイされている生き物が動いたり、雷が鳴ったりしていたそうな。そりゃあ、小さい子は怖いに決まっていますよね。ギャン泣きするに決まってますよね。なぜ当時の大人は、平気で子どもを連れてこの中に入れたのか。今だとどうなんだろう?と思いました。

で、大人になった今ならこの樹を見ても平気かと聞かれると、正直やっぱりちょっと怖い。でもそれは、子どもの頃の「怖い」とは質が違うように感じました。今感じるのは、恐怖というより「とんでもないものを見てしまった」という畏怖の念。奈良の大仏や大谷観音を見たときに感じた感覚と近いような気がします。

あくまで推測ですが、岡本太郎さんは「命」を知り、それをほかの人に伝えるために太陽の塔を作ったのではないでしょうか。個々の生命体がひとつの木でつながり、その木を含めた全体がひとつの命になっていく。その(大きな)命は、太陽の内部で育まれていく。これが、岡本太郎さんが見た命の姿なのではないかと。螺旋階段を上りながら、そんなことを考えていました。

太陽の塔の内部を見るには事前予約が必要ですが、空いているときであれば当日でも見られるようです。受付で「今日は太陽の塔に入れますか?」と聞いてみて下さい。料金は、万博記念公園への入場料が大人260円、小中学生80円。さらに太陽の塔への入館料が大人720円、小中学生310円です。もし機会があれば、ぜひご覧ください。それだけの価値はあると思います。

井上 真花(いのうえみか)インタビュアー

投稿者プロフィール

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。日本冒険作家クラブ会員。

長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。

主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。

プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。ライフワークは「1000人に会いたいプロジェクト」

井上真花の公式ホームページはこちら

この著者の最新の記事

関連記事

【車旅】移動式事務所のカーテンをバージョンアップ

【週刊辻村】 ゲーミングチェアの選び方&厳選5モデル

my cup of teaチャンネル

ページ上部へ戻る