去年、天草にいた義父を東京に連れてきた。それにともなって、天草に作ってあった納骨堂の遺骨も東京に移した。東京の寺に墓を買い、そちらへ移す。文字にすると二行で済むのだが、実際にはかなりの作業だった。
ハイエースで九州へ
まず、ハイエースを運転して九州まで行った。
うちのハイエースは、もともと事務所である。「バンワーク」と称して、これで日本全国を回って仕事をしている。だからこの車で長距離を走ること自体は日常だ。ただ、今回積むものが違った。
自宅の売却手続きがあり、実家から引き取れるものは引き取る必要があり、そして遺骨の改葬手続きもある。全部まとめてやるとなると、荷物を積める車で自分で行くのがいちばん早い。
改葬というのは、行政の手続きだ。天草側の役所に書類を出し、寺には寺で証明書を作ってもらう。誰が納められているのか、いつ納められたのか。紙の上で一人ずつ確認していく。そして、これらは現地に行かないとできない。
そんなわけで、書類を集め、家財を積み、遺骨を積んで、東京まで運転して帰ってきた。生きている人の住まいを畳んで、亡くなった人の住まいも畳んで、両方まとめて後ろに載せる。引っ越しといえば引っ越しなのだが、荷物の中に遺骨がある。
普段は原稿を書いている車の後ろに、遺骨がある。高速を走りながら、これは何の作業なんだろうと思っていた。特別なことをしている気もするし、していない気もする。
やってみて意外だったのは、遺骨がわりと普通に動くということだった。手続きさえ踏めば、九州から東京へ移動できる。土地に根ざした不動のものだと思っていたのに、条件を満たせば運べる荷物でもあった。逆に言えば、紙が許可を出さないと一ミリも動かない。物質としてはただの灰と骨で、法的には厳重に管理された何かで、感情としてはまた別の何かだ。同じものに三つの顔がある。
その三つがうまく重ならない感じが、ずっと引っかかっていた。
自分の父の遺骨だったら
そこで思い出したのが、アイヌの人たちの遺骨の話だ。研究資料として大学に保管されていたものが、返還されたという件がある。
もし僕の父や祖父の遺骨が「研究材料です」と言って持っていかれたら、どう思うだろう。
正直なところ、「あー、そうなんだ」くらいの感じなのだ。薄情なんじゃないか、と自分でも一瞬思った。でも、たぶんそうではなくて、僕の信じ方の問題なのだと思う。
魂はあると思っている
僕は、魂はあると思っている。
父が死んだとき、すごく不思議だった。
さっきまでそこにいた人が、いない。でも、体はある。目の前に、そのまま、ある。減っていない。壊れてもいない。それなのに、明らかにいない。何がなくなったのか、いくら見てもわからなかった。
その不思議さが、ずっと残っている。
というのも、骨とか、水とかタンパク質とか、人間を構成する材料を全部揃えたところで、それは人間にならないじゃないか。材料表は完璧なのに、動き出さない。だとしたら、材料以外の何かが要る。それを魂と呼んでみた。じゃあ魂って何なんだと聞かれると、まったくわからないのだけれど。
わからないまま、あの日から色々考えてきた。そして今のところ、僕の感覚では、亡くなった人たちは遺骨には宿っていない。でも、世界のどこにでもいると思っている。特定の場所に閉じ込められているのではなくて、行き渡っている。そういう感じだ。
これはたぶん、僕なりの宗教観なのだと思う。無宗教だと思っていたが、書いてみるとけっこう強い信念だ。
そう考えると、話が繋がる。僕が遺骨を持っていかれても平気なのは、そこに誰もいないからだ。器だけが残っているので、「あー、そうなんだ」で済む。逆に言えば、遺骨に宿ると信じている人にとって、持っていかれるというのは本人を連れ去られるのと同じことになる。返してほしいと思うのは、当たり前だ。
信じていないから平気なのではなく、別のものを信じているから平気なのだった。同じ「宗教的なこだわりがない」という顔をしていても、中身は人によってまったく違う。
ハイエースの後ろに遺骨を載せて高速を走っていたとき、僕はその人たちを運んでいるつもりはなかった。その人たちはもう、走っている道路にもいる。僕が運んでいたのは空になった器と、その人がいたことの証明書だ。証明書は、けっこう重かった。
縄文人は、真ん中に埋めた
このあたりを考えていて、縄文時代のことを思い出した。
僕は縄文の土器や土偶が好きで、東博に行ったり、山梨や長野の縄文系の博物館を回ったりしている。行くたびに、彼らが遠くない気がしてくる。復元された竪穴住居の屋根は茅葺きで、今も残っている茅葺きとそんなに変わらない。中に入ると、農家と竪穴式住居の違いって些細な部分しかない。五千年前の話なのに、材料も作りも地続きだ。
そうやって親しく見ていて、ひとつだけ、うまく飲み込めないところがある。埋葬だ。
縄文中期の東日本には、環状集落というものがある。同心円状に遺構が並ぶ集落で、岩手県の西田遺跡の場合、中心部に墓の穴があり、その外側に掘立柱建物の跡、さらに外側に竪穴住居、いちばん外に貯蔵穴という配置になっている。直径は120メートルほど。神奈川の川尻中村遺跡でも、集落の中央に墓がまとまって発見されている。
つまり、村の真ん中に死者を埋めていた。広場を囲んで住居が並び、その広場に先に埋まっている人たちがいる。毎日通る場所だ。埋葬の様子を展示している博物館も見たことがあるが、雑ではない。丁寧に埋められている。
そこが不思議なのだ。
僕の感覚だと、遺骨は器だ。魂が抜けたあとの器。姿形はその人なのに、その人ではない。父を前にしたときが、まさにそれだった。顔も手もそこにあって、間違いなく父なのに、父ではない。だから遺骨は寺に置いておけばいいし、九州から東京へ運んでも構わない。そういう扱いをしている。
でも彼らは、毎日通る場所に、丁寧に埋めた。近くに置いておきたかったのだと思う。そこにその人がいる、と感じていなければ、そういう置き方にはならない気がする。
同じものを見ているのに、たぶん見えているものが違う。僕は父の姿を前にして「いない」と思った。彼らは埋めた場所を通るたびに「いる」と思っていたのかもしれない。
遺骨がなくなる
先日、NHKのクローズアップ現代を見た。地価が高騰するなかで、都会の一等地に建つ寺が金儲けの対象になっているという話だった。宗教法人の名義や土地が売買される。その混乱の果てに、預けた墓が突然なくなったり、納骨堂の遺骨の行方がわからなくなったりする人が出ている。
遺骨が、資産の付属品になっている。
見ていて、いやな気持ちになった。同時に、少し困った。
だって、僕も似たようなことを言っている。遺骨は器で、その人はそこにいない。だから運べるし、置き場所も変えられる。理屈だけ取り出せば、けっこう近いことを言っているのだ。
違うとしたら、どこが違うんだろう。中身がないという認識が同じなら、扱いだけが違う。中身がないなら、どう扱っても同じはずなのに、明らかに同じではない。
そのとき、義父の生まれ故郷の話を思い出した。あそこの納骨堂は、地域で管理していたらしい。
これも、よく考えると不思議だ。行政ではない。宗教団体でもない。ただの地域の人たちが、他人の遺骨を預かっている。そんなことをしていていいのか、と一瞬思う。でも、小さな祠なんかは今もそうやって守られている。誰の持ち物でもないまま、誰かが掃除をして、季節に手を合わせにくる。
番組に出てきた寺には、書類があった。法人があり、名義があり、管理者がいた。それでも遺骨は行方不明になった。義父の故郷の納骨堂には、たぶんそういうものが揃っていない。それでも遺骨はそこにある。祈りも信仰もそこにある。
書類の上では完璧で、実態としては空っぽ。書類の上では曖昧で、実態としては誰かが支えている。どっちが本当なんだろう、と思う。
帰りの車で
天草から運んできた遺骨は、今は東京の寺にある。義父が行きたいと言うので、墓参りには行っている。前より近くなったので、行こうと思えば行ける距離だ。
線香をあげて、手を合わせる。墓には「南無阿弥陀仏」と刻まれている。阿弥陀仏に帰依する言葉だ。でも僕は、そこに向かって何かを頼んでいるわけではない。手を合わせながら考えているのは、世界が幸せだといいな、ということくらいだ。死んだ人は世界そのものになっていると思っているので、その人の幸せを祈るというのは、たぶんそういうことになる。
ここにいないと思っている場所に、わざわざ来て、手を合わせる。それを毎回やっている。矛盾している気もするし、していない気もする。
器は器でしかない、と僕は思っている。でも、その器を九州から運んできたのは僕だ。書類を集めて、車に積んで、高速を走った。器でしかないなら、あんなに丁寧に運ぶ必要はなかった。
たぶん来ているのは、義父が行きたいと言うからだ。それで十分な気もするし、それだけでもない気もする。
帰りの車で、その話はしない。