※『僕のヒーローアカデミア』×ネスタリゾート神戸のコラボイベント「PLAY NESTA!with 僕のヒーローアカデミア」リリース画像です。前列右の少年が「爆豪」くんです。
最近やっと『僕のヒーローアカデミア』シーズン7を見終えました。正直とても長くて、途中何度もくじけそうになりましたが、最後まで見てよかった。とても見応えのあるアニメでした。新しいシーズンが待ち遠しいです。
『僕のヒーローアカデミア』を知らない人のために、簡単にストーリーを紹介します。このアニメで描かれているのは、超能力「個性」を持つ人々が当たり前の世界。そのなかで多くの少年少女がヒーロー/ヒロインを目指します。その中でも特に印象深いのが、「爆豪勝己」と「エンデバー」という二人のキャラクターです。
「爆豪」は主人公の幼なじみでありながら、かつて彼を見下し、いじめのような態度をとっていました。「エンデバー」は社会的には尊敬されるヒーローですが、家庭では息子を道具のように扱い、妻を追い詰めてきた加害者として描かれています。
どちらも物語の中で変化し、成長しようとする姿が描かれていますが、SNSでは「爆豪は最初のいじめが許せない」「エンデバーは家族への加害が重すぎて無理」という声が多く見られます。
物語の中で確かに成長し、変わっていく姿を見せているのに、なぜこんなにも多くの人が彼らを許せないと感じるのでしょうか。この強い感情の正体は、一体何なのでしょうか。
消えない傷跡、忘れられない暴力
爆豪勝己の姿を見るたび、多くの人が思い出すのは彼自身の成長ではありません。幼い主人公を見下し、「デク」という蔑称で呼び続けた、あの冷酷な笑顔です。
「人は変われる」——作品はそう語りかけます。確かに爆豪は変わりました。仲間を信頼し、時には命をかけて守ろうとする姿も見せています。それでも、心の奥底で叫ぶ声があります。「あの時の痛みは、消えない」と。
エンデバーの場合はさらに深刻です。社会的には輝かしいヒーローである彼が、家庭では息子を道具扱いし、妻を精神的に追い詰めていた事実。妻が熱湯を息子にかけてしまうまでに追い詰められたとき、どれほどの苦痛と孤独を味わったのでしょうか。
「道徳的な一線」を越えることの重さ
実は、私たちがこれほど強く反応するのには理由があります。心理学でいう「初頭効果」——最初に受けた印象が、その後のすべてを決めてしまう現象です。
でも、それだけではありません。
私たちの多くが、現実でも似たような経験をしています。信頼していた人に裏切られた痛み。愛する人から傷つけられた絶望。一度失った信頼を取り戻すことの困難さ。爆豪やエンデバーを見るとき、私たちは自分自身の古い傷をなぞっているのかもしれません。
軽い失言や約束の不履行なら、時間が癒してくれるかもしれません。しかし、暴力や虐待は違います。それは人の尊厳を踏みにじる行為だからです。
被害者にとって、それは「ただの過去」ではありません。夜中に突然よみがえる恐怖、人を信じることへの躊躇い、自分を責める声——それらはすべて、現在進行形の痛みなのです。
だからこそ、「謝ったから許して」「変わったから受け入れて」という言葉が、時として加害者の身勝手に聞こえてしまうのです。
二つの視点の間で揺れる私たち
作品を見る私たちは、二つの相反する感情に引き裂かれます。
一方で、「人には更生の可能性がある」という希望を信じたい。誰もが過ちを犯し、誰もが成長する権利を持っているはずだから。もう一方で、「簡単に許していいのか」という怒りと疑問。被害者の痛みを軽視することになりはしないか、という良心の声。この葛藤は、私たち自身が日々直面している問題でもあります。
しかし、想像してみてください。「一度でも失敗すれば、二度と立ち直れない社会」を。そこでは、誰もが完璧でいなければならない。一度でも人を傷つければ、永遠に糾弾される。やり直しは許されない。そんな世界で、私たちは生きていけるでしょうか。失敗することが死を意味する社会で、誰が本当の自分でいられるでしょうか。
司法制度が「更生可能性」を重視するのは、人間への最後の希望を手放さないためです。教育が「やり直し」を前提にするのは、成長への信頼があるからです。
しかし、ここで忘れてはならないのは、「許せない」という感情の正当性です。被害を受けた人が感じる怒り、悲しみ、不信——それらはすべて自然で、正当な反応です。無理に許す必要はありません。時間をかけて、自分のペースで向き合えばいいのです。そして、「許さない選択」もまた、一つの答えなのです。
爆豪やエンデバーの物語は、結局のところ、私たち自身の物語でもあります。
- あなたは過去に誰かを傷つけたことがありませんか?
- その時、相手に許してもらえましたか?
- あなた自身は、誰かを許せずにいませんか?
- その感情と、どう向き合っていますか?
フィクションの向こう側にあるのは、私たちの現実です。職場での人間関係、家族との確執、友人との亀裂——そのすべてに通じる、普遍的な問いがそこにあります。この問いに明確な答えはありません。なぜなら、「人をどこまで許せるのか」という問いに、万人に当てはまる正解など存在しないからです。
ただ私は、この問いと向き合っていきたい。簡単に許すことも、頑なに許さないことも、どちらも時として必要です。大切なのは、その選択が自分の心と向き合った結果であることです。
爆豪やエンデバーが私たちに投げかけているのは、この深い、そして避けて通れない人生の問いなのです。
あなたなら、どう答えますか?