先日、TOHOシネマズに映画を見に行った。平日ならほぼ毎日のように何かしらの割引が効いていて、1200〜1300円程度で映画が見られる。会員になっていないとダメな割引もあるけど、それを差し引いても、このクオリティをこの値段で味わえるのはオトクだなと素直に思った。
画面はでかいし、音もいい。一時期、家にホームシアターを作ろうと画策したことがあるけど、あの大きさの画面と臨場感のある音をちゃんと用意しようとすると、想像以上に大変だった。お金もかかる。それが1000円台前半で済むなら、こっちのほうがよほどコスパがいい。
チケットもネットで取れるし、席も選べる。そういえば前は、並んでも立ち見だったり、そもそも席が取れなかったりすることも珍しくなかった。指定席になっただけで、こんなに快適になるものかと思う。
チケットレス化も進んでいた。座席はもちろん、ドリンクも機械で注文すればすぐ出てくる。マクドナルドのあのシステムに近い。これなら聞き間違いも起きないし、レジ対応で列ができることもなさそうだ。ドリンクバーもあるから、注ぐところまでお客に任せてしまえばいい。なんとも効率的になったものだと思う。
しばらく映画館から足が遠のいていたんだけど、行ってみるとかなり進化を感じた。知っている人にとっては当たり前のことなんだろうけど、僕の中の「映画館」がアップデートされた日だった。
自分の中の当たり前がアップデートされるという意味で、もうひとつ最近あった出来事を書いておきたい。深川不動堂で護摩焚きを見たときのことだ。
マントラという、意味のない音が意味を持つ話
護摩焚きに参加して、初めて「マントラ」をちゃんと聞いた。「ノウマク サンマンダ……」という、あの呪文のような言葉だ。サンスクリットという、古代インドの言語で組まれている。
そういえば藤井風の「Prema」もサンスクリット語だったなと思い出した。「Prema」は、サンスクリット語で「無私の愛」「霊的な愛」「至高の愛」を意味する言葉だという。愛とか霊性とか、そういう抽象的な概念を表すのに、わざわざ古い言語を持ち出してくる感じが面白い。
ただ、マントラの面白さはそれとはちょっと違うところにあるらしい。マントラには、単語としての意味を持たない、聖音としての音節も含まれているのだという。密教ではこの「音」そのものが意味を持つと考える。
たとえば「a(阿)」という音には本不生という意味があって、全ての根源や本質は元々生まれていないので消滅することもない、「不生不滅」の「空」を表しているらしい。生まれていないものは死なない、という理屈だ。「a」は不生で、不生のものは滅しない。シンプルなのに、多くの情報が詰まっている。
「oṃ(オン)」も、宇宙の真理や永遠性を象徴する文字とされていて、大日如来の真言は、金剛界では「オン・バザラダトバン」、胎蔵界では「アビラウンケン」と唱える。両方をあわせて「オン アビラウンケン バザラダト バン」と唱える流派もあるらしい。
仏や知恵を象徴する種字もある。子音や種字にも意味があって、それらが連なったマントラには、文字数からは考えられないほどの情報と、それに紐づいたイメージが圧縮されているのだという。
立体曼荼羅を、ただ「かっこいい」で済ませていた
そんな話を知ったとき、ふと、空海が作った立体曼荼羅は一体どれだけの情報を伝えようとしているんだろう、と考えた。
仏の種類、配置、それぞれが結んでいる印、添えられた動物。それらを総合して立ち上がってくるイメージはどんなものなのか。正直、まったく想像がつかない。真言よりも多くの情報が具体的な仏像という形で存在している気がする。
今まで立体曼荼羅を見ても、「かっこいい」というくらいの感想しか持っていなかった。でもそこには、マントラと同じように、圧縮された膨大な情報が詰め込まれているんだろう。
マンダラ、奥が深い。
今年の夏、東京国立博物館で弘法大師生誕1250年記念の特別展「空海と真言の名宝」が開催されるらしい。東博に行く前に、こういう基礎情報をできるだけ仕入れておけば、今までより何倍も楽しめそうな気がしている。
映画館のシステムも、マントラの構造も、知らないうちに進化していたり、知らないままただ通り過ぎていたりする。アップデートのタイミングは、案外こういう脇道みたいな場所に転がっているものなのかもしれない。