それは本当に陰謀なのか? 『ようこそ!FACT』が問いかける“あなたが信じたい世界”

書評

陰謀論やフェイクニュースがSNSをにぎわすこの時代に、「事実とは何か」を問うマンガがある。「チ。」の作者として知られている魚豊氏の『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』だ。舞台は「FACT」と呼ばれる調査組織の一支部。そこは、人々が囁く噂や陰謀を検証し、事実を突き止めるはずの場所だったが、次第に「事実」と「解釈」の境界が揺らぎ始める…。シリアスでありながら滑稽さも漂う、不思議な読後感を残す作品だ。

本書を手に取ったのは、友人の勧めがきっかけだった。彼女は私が『チ。』を夢中で読んでいたことをよく知っているし、普段から「人はなぜ信じるのか」「人はどうやって自分を立たせるのか」といった問いを考えていることも理解してくれていた。だからこそ「きっと気に入るはず」と、この本を紹介してくれたのだ。

物語のなかで印象的だったのは、調べれば調べるほど陰謀論を裏付ける証拠ばかりが出てくる場面。なぜどんどん陰謀論が正しく見えてくるのか? 人は見たいものだけを見てしまうのか? それとも解釈によって証拠そのものが増幅されてしまうのか。描かれ方はユーモラスだったが、背筋が冷たくなるシーンだった。

本書が描くのは、陰謀論を信じる人が常に存在するという現実だ。その人にとっては、それもまたひとつの世界である。問題は、その世界が他人の現実に踏み込もうとしたときに生まれる衝突である。世界と世界の境界にできたヒビをどう埋めるのか。この問いは、日々SNSを眺めている私たち自身にも突きつけられている。実際、私の知人がよくSNSで陰謀論を語っていて、それにどう反応していいかわからなかった。そんな私にとって、飯山の冷静な対応は大きな参考になった。

本書を読み終えたあと、ニュースやSNSに向かう目が少し変わったように思う。小さな歪みは自分の中で拡大され、やがて別の場所で消費される。その歪みが育ち、陰謀論に姿を変えてしまうかもしれないという不気味さを意識させられたのは、この作品を通して得たもっとも大きな経験だ。

魚豊氏の絵柄はもともと好みではなかったはずなのに、気づけばすっかり引き込まれていた。『チ。』と同じように、架空の物語のなかに現実の息づかいを感じさせる力がある。キャラクターが単純なパターンに収まらないからこそ、寓話ではなく生きた物語として読めるのだ。

『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』は、陰謀論を批判するためのものではない。むしろ、人がなぜそれに惹かれ、なぜ信じてしまうのかを追体験させてくれる作品だ。陰謀論に懐疑的で、「あの人たちの気持ちがわからない」と感じてきた人にこそ薦めたい。読み終えたとき、笑いと怖さが入り混じった余韻とともに、自分の中の「fact」が揺さぶられているかもしれない。

井上 真花(いのうえみか)

井上 真花(いのうえみか)

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。

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