AIと思考力の関係を考える

レビュー&コラム

NewsPicksに掲載された「人間はまもなく大事な能力を失う(全文を読むには会員登録が必要)」という記事を読みました。記事によると、AIの普及によって人間の「考える能力」が失われていくという懸念が広がっているとのこと。しかし私は「本当にそうなのかな」と疑問を持ちました。

高度なAIの登場により、これまで人間が時間をかけて考え、推敲してきた「書く」作業の多くをAIが代行するようになっています。このような状況を受け、Yコンビネーター共同創業者のポール・グレアムは「書くことは考えることだ。もし人々が書くことをやめれば、それは考えることそのものをやめてしまうことになる」と話しているとのこと。AIが文章生成を代行することで、人間が自ら考え、言葉を選び、論理を組み立てるという思考プロセスそのものが省略されていくという懸念です。

確かに、これまでの歴史のなかで、技術の進化によって人類がさまざまな能力を失ってきたのは事実です。布の織り方やろくろの回し方などの知識が失われていったように、「書く」という行為を通じた思考プロセスもAIに委ねられていくのではないかという不安は理解できます。

特に教育現場では、すでに学生たちがレポート作成の大部分をAIに任せ、批判的思考力の低下が報告されているとのこと。「書くことは簡単ではなく、人は難しいことをするのが嫌い」という人間の性質を考えれば、AIに頼りたくなる気持ちもわかります。

しかし私は、AIを使うようになってから、むしろ「考える能力」が進化していると感じています。

私は普段生活のなかで、よくちょっとした思いつきや疑問をAIに伝えます。すると、AIがその言葉から私の本意を読み取り、内容を整理して返します。私は、さらに思いついたことや疑問を述べ、AIとの対話を続けます。AIの言語化能力に助けられ、自分の考えをメタ認知しながら、自分ひとりでは辿り着けなかったところまで考えが深まっていく。そんなことを、何度も経験しました。

AIが思考を奪うか、拡張するかの分岐点は、私たちがそれをどう使うかにあるように思います。受け身でAIに丸投げするのか、それとも主体的に対話しながら思考を深めていくのか。

前者では確かに思考力の衰退が起こるかもしれませんが、後者の場合、思考力が強化されるかもしれません。AIが整理してくれた自分の考えを客観的に見つめ直し、さらに発展させていくというプロセスの中に、AIとの共存時代における新しい「考える」形の可能性を感じます。

いずれにせよ、AIの台頭によって「書く」という行為の位置づけは変わっていくでしょう。しかし、それは必ずしも「思考の喪失」を意味するわけではありません。

先の記事でも、2030年には「独特な人間の声(意見)と批判的編集の重要性が高まる」と予測されています。これは、AIを活用しながらも主体性を持って思考する人々の価値が高まることを示唆しています。

テクノロジーの進化に対して、単純な悲観論や楽観論に偏るのではなく、どう活用すれば人間の可能性を広げられるのかを考え、実践していく。AIとの共創関係を築きながら、「考える」という人間の本質的な営みをさらに豊かにしていく。そんな未来であったらいいなと切に願います。

井上 真花(いのうえみか)

井上 真花(いのうえみか)

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。

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