9月に岩手旅を計画した時、秋葉が「どうしても行きたい」と言ったのが中尊寺でした。歴史の教科書に出てくるので、私も名前だけは知っていましたが、由縁などは全く知りません。そこでネットで調べてみたところ、松尾芭蕉がかの有名な句を読んで涙を流した場所だとか。これは見ておかなければ!ということで行ってきましたので、今回はそのレポートをお届けします。
中尊寺拝観情報
- 拝観時間:
- 3月1日〜11月3日: 8:30~17:00
- 11月4日〜2月末日: 8:30~16:30
- 年中無休
- 拝観料金:
- 金色堂・讃衡蔵・経蔵・旧覆堂
- 大人: 800円
- 高校生: 500円
- 中学生: 300円
- 小学生: 200円
- 金色堂・讃衡蔵・経蔵・旧覆堂
連絡先
- 中尊寺事務局
- 住所: 〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
- TEL: 0191-46-2211
- FAX: 0191-46-2216

中尊寺の入り口です。こうやって写真でみるとよくわからないかもしれませんが、実際に見てみると思わず引き返したくなるほどの急勾配です。こんな坂道を登らなければ中尊寺に辿り着けないなんて知りませんでした。とはいえ、引き返すわけにはいかないので、なんとか自分を奮い立たせます。

少し登って後ろを振り返ると、こんな感じ。現地を訪れたときの絶望感、伝わりますでしょうか…。
ようやく本堂に辿り着きました。実はここに着くまでにさまざまなお堂があり、ひとつずつお参りしていたら永遠に終わらないのではないか、と不安になりました。坂に加え、こんなトラップまで用意されているだなんて…中尊寺、侮れません。

このあと、もう少し先に進むと金色堂があります。金色堂は撮影不可なので、写真は残っていませんが、とても美しいお堂でした。
金色堂の内外は、金箔が押された「皆金色」と称される部分や、南洋からもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工、象牙や宝石で飾られています。内陣部分には、須弥壇の中心に阿弥陀如来があり、その両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天が従っているという、他に例を見ない仏像構成となっていました。
…と言葉で説明しても、到底あの美しさは表現できないので、死ぬまでに一度は見ておいた方がいいかもしれません。
さて、ここからは中尊寺の歴史を少しだけ。歴史を見れば、なぜ松尾芭蕉が泣いたのかがわかります。
中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれましたが、大規模な造営に着手したのは、奥州藤原氏初代清衡公。清衡公は、辺境の地と見られていた東北地方に、平等思想に基づく「仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)」をあらわそうとしたとのこと。
そのご利益なのか、平泉は100年にわたって平和な地でした。しかし、源頼朝と対立した源義経が平泉に落ち伸びたあと頼朝に攻め入られ、中尊寺は荒れ果て、宝物は京都伏見に運び出されてしまったそうです。
藤原氏が滅亡した500年後、松尾芭蕉はこの地を訪れ、あちこちを見て歩いたあと、深く悲しみながらあの有名な句を詠んだそうです。
夏草や 兵どもが 夢の跡
仏国土を現世に具現化した清衡公の志は、人と人との争いの犠牲になり、見る影もありません。芭蕉は目の前の風景と、500年前に起きたときの情景を重ね合わせ、しみじみと無常を感じたのでしょうね。
それからまた時の流れを経て、第二次大戦後。「文化財保護法」が制定され、金色堂は国宝建造物第一号に指定され、3000点以上の宝物は国宝・重要文化財の指定を受けます。さらに平成23年(2011)には「平泉-仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」として世界文化遺産に登録されました。
このように、歴史の渦に巻き込まれて数奇な運命を辿った中尊寺ですが、2024年は金色堂建立900年にあたる年で、さまざまな行事が予定されているそうです。たとえば、来年の1月23日から、東京国立博物館で特別展が開かれるとのこと。詳しくは、下記リンク先からご確認ください。