【旧車生活】継走者として

スタッフコラム

年の瀬も押し詰まり、なにかと忙しい今日この頃。まあ、何もしなくても、ちゃんとお正月はやってくるのですが、私もやっぱり日本人。あと少しで終わる2019年、やり残したことは今年のうちに片付けて気持ち良く年神様をお迎えしたいと思い、毎日気忙しく過ごしています。考えてみれば、そんな風にバタバタと過ごす日々もこの時期ならでは。それならば、存分にこの風情を堪能してやろうと思ってみたり。

さて、子どもの頃の三が日、茶の間に鎮座したテレビに映るのは駅伝でした。御年始で訪ねた親戚の家のテレビも、やっぱり駅伝。ただただ人が長時間走っているだけの駅伝中継がつまらなくて、チャンネルを変えさせろと駄々をこねた覚えがあります。そんなトラウマのせいなのか、スポーツ観戦にはまったく興味のない私ですが、いつの頃からか、三大駅伝の出雲、全日本、箱根はもとより、箱根の予選会や元旦のニューイヤー駅伝、全国男子駅伝までも欠かさずに見るようになりました。

「駅伝の魅力は何か」と問われたら、私は「アクシデントや逆転など、何が起こるかわからないレースにドラマを感じるから」と答えるでしょう。そのドラマは、個性と才能豊かな選手が、特色あるコースを継走することで生まれてくるように思います。

旧車を手に入れた時、なぜか「複襷を繋ぐ」という言葉が頭に浮かびました。古い道具が後の世に残るのは、残そうとする人と、その意思を繋ぐがいるから。しかし車となると、押し入れや納戸にしまっておくわけにはいきません。税金や保守など、ただ保管するだけで費用が掛かります。ときには、維持できなくなる事情もあるでしょう。しかし、もしも継走が途切れたら、その車の歴史はそこで終わり。廃車にされ、二度と道を走ることはありません。

私の500の前オーナーは女性で、手塩にという言葉がピッタリなほど、ご自身で大切に可愛がられた方でした。やむを得ない事情で手放されたチンクです。縁あって手にした私は、次の誰かに手渡すまで襷を預かる「継走者」。私のところで途切れないよう、出来るだけ良い状態を維持していくつもりです。

NUOVA 500はその特異な愛らしさから、母国イタリアはもとより、世界中で愛され続けました。生産から50年近く経った今も、多くの個体が元気に走り回っています。そして、その一台一台の後ろには、それぞれのチンクをしっかり継走してきた多くの人たちがいます。私もその中の一人として、役目を果たしたいと思っています。

水瀬 涼介

頭のなかにある景色を言葉にしていく楽しさを真花さんに教わり、 「カタチとして残るもの」へのあこがれを抱いてマイカのメンバーに加わった。趣味は愛する旧車のメンテナンス。 愛車は1971年式のFIAT500-L●これまでの主な仕事 外資系物流業界に長く従事。システム部、キーアカウント、4PLなど社内のあらゆる部署を経験したオールラウンダー。

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