『失敗の本質』という本を読んだ。読んでいるうちに、一つの問いが頭から離れなくなった。「正しいことを言えない空気」は、なぜ生まれるのか。
優秀な人材が集まっても失敗する
本書を読んでいる間、ずっと「なぜこんなことになってしまったんだろう」とモヤモヤしていた。補給の見通しもないままインパールへ兵を送り込み、暗号が解読されていた事実に最後まで気づかず、失敗が明らかになっても撤退を決断できない。傍から見れば、なぜそんな判断をしたのか理解できない。無能だったのか、とも思ってしまう。
本書のなかに、こんな問いがあった。
> 「なぜ優秀な人材が集まっても組織は失敗するのか」
インパールで最後まで科学的合理性を主張し続けた八原高級参謀は、誰よりも正確に状況を見ていた。「日本軍は精神力を過度に重視し、科学的検討に欠ける」と嘆じた彼の分析は正しい。にもかかわらず、彼は次第に孤立していった。その場の「空気」が彼の声をかき消したのだ。
これは無能の話ではない。優秀な個人が、組織の構造によって沈黙させられた話だ。
「空気」は悪意から生まれない
本書の中で、もっとも印象に残った場面がある。
インパール作戦の失敗が誰の目にも明らかになった頃、河辺ビルマ方面軍司令官が牟田口第一五軍司令官を訪ねた。両者とも、作戦中止を不可避と考えていた。しかし「中止」という言葉は、どちらの口からも出なかった。牟田口は後に、こう述懐している。「私の顔色で察してもらいたかった」。
これを読んで、悪意がないことの怖さを感じた。誰も意図して空気を作ったわけではない。お互いへの気遣い、関係を壊したくないという善意が積み重なった結果として、何万人もの兵士が死んだ。
本書はこれを「間柄への配慮が合理的判断を抑圧した」と分析する。
「話せる空気」を作る
しかし、空気を感じながらも発言する人もいる。同じ場にいて、同じ空気を読んでいるはずなのに、なぜその人は発言できるのだろうか。
『失敗の本質』を題材とした読書会に参加したとき、参加者のひとりがこんなニュースを紹介した。
2026年3月、トランプ政権の国家テロ対策センター所長だったジョセフ・ケント氏が、イラン攻撃への反対を理由に辞任した。公開された辞表の一節がある。
> 「11回も実戦に派遣された退役軍人として、また、イスラエルが仕組んだ戦争で最愛の妻シャノンを失ったゴールドスター・ハズバンドとして、私は、アメリカ国民に何の利益ももたらさず、アメリカ人の命の代償に見合う正当性もない戦争に、次世代の若者を送り出して戦わせ、死なせることには賛同できません」(朝日新聞オンライン、2026年3月18日)
彼は間違いなく政権内の「空気」を読んでいたが、自分の意見を公表した。八原大佐の姿と重なる。八原大佐も空気を読んでいたが、それでも訴え続けた。空気を感じながらも発言できる人は、なぜ話せるのだろうか。
空気は「読まれる」だけでなく、「作られる」ものでもある。先述の読書会で「会議で空気を作っていく立場もある」という発言が出たとき、ハッとした。
沈黙を強いる空気も、言葉を引き出す空気も、同じメカニズムで生まれる。だとすれば、話せる空気を意図的に作ることもできるのかもしれない。
『失敗の本質』が描く日本軍の失敗は80年前の話だが、「空気」「察し」「間柄」が判断を歪めるメカニズムは、今も変わっていない。しかし誰かが意図的に「話せる場」を作ることができたら、状況を変えられるのかもしれない。