【テツガクを生きる】5. モナドが表象する1つの世界

哲学

前回の記事の続きです。「人はそれぞれ違う世界を生きている」と気づいたとき、新しい問いが生まれました。では、なぜ私たちは「一つの世界」を共有しているかのように感じるのだろう?

この問いに挑戦した哲学者のひとりが、17世紀ドイツの哲学者ライプニッツです。彼は世界を「モナド」と呼ばれる無数の単位から成り立つと考えました。モナドとはライプニッツが考える「部分をもたない最小の単純実体」で、それぞれが自分だけの視点で世界を表象している。しかもモナドには「窓がない」。つまり、他のモナドと直接やりとりすることはできないのに、なぜか世界は全体として調和している。

この説いに対し、ライプニッツが示した答えは「予定調和」という考え方です。曰く、「神は、世界を創造する時点で、あらゆるモナドの展開をあらかじめ調整している」。オーケストラにたとえると、楽器たちがそれぞれ独立して演奏していても、最初から一つの楽譜に従っている。だからこそ、全体として美しい交響曲が完成する。神は自ら楽譜を書き、指揮者としてタクトを振っているのです。それにより、各モナドが自分のパートを演奏しているだけで、一つの調和した世界になっていく。

では、神はどのように世界を調整しているのでしょうか。ライプニッツは、「神は無数の可能的世界の中から最善世界を選び、その中でモナドが矛盾なく調和するように設定した」といいます。

ここで、また新たな疑問が湧いてきます。「最善世界? この世界が? こんなにひどいことがたくさん起きているのに?」。この問いに対しても、ライプニッツはちゃんと回答を用意しました。

曰く、神は無限にある可能的な宇宙のなかから、この一つを選び取った。神は「知恵によって最善を知り、善意によってそれを選び、力能によってそれを実現する」存在だから、その選択には十分な理由がある。神に選ばれたこの世界は、必然的に最善である、と。

もちろん、この世界には災害もあれば戦争もある。悪や不条理に思えることは日常に溢れています。しかしそれは、ライプニッツによると「より大きな善のために神が許容した要素」にすぎないとのこと。私たちには悪に見える出来事も、神の視点からは全体の調和を成す一部であり、最善世界を構成するために必要なものなのだそうです。

ここまで読んで、あなたはどう思いましたか? 「そんなはずはない!」と思いましたか? それとも「なるほど」と思いましたか? はじめてこの文章を読んだ時、私は「えええ?」と驚き、「またまた、ライプニッツってば。うまいことごまかそうとしても、さすがにこれは無理筋すぎるでしょ」と思いました。しかしその時、唯識や環世界を思い出したのです。そっか、私が認知する世界と、神が認知する世界は違うんだ…。

人間は世界のごく一部しか見られません。だからこそ、目の前の災害や病気を「悪だ」と判断してしまう。「なぜこんな理不尽が起きるのか」と思ってしまいます。

しかし神は、過去も未来も含めた全体像を一望できる存在です。その完全な視点からは、この世界こそが最善であり、悪すらも計画の一部となる。「全体を見渡す(神の)視点から見ると、それも最善の一部なのかもしれない」と思考をスイッチすると、ちょっと見方が変わります。

ライプニッツの「最善世界」を知ったことで、「悪や不条理も全体の調和の中では意味を持つのだ」と考えられるになりました。個人の目からは理不尽にしか見えないことも、神の視点からすれば全体の最善を成す要素なのかもしれない。自分の身に降りかかった災難も、「なぜこんなことが」と思うのではなく、何かのつながりの中にあると思えるようになったのです。

この「つながりの中で出来事が意味を持つ」という感覚は、やがて仏教の華厳思想、とりわけ「事事無碍」という考えに出会ったときに、さらに深くなりました。この話は、また次回で。

井上 真花(いのうえみか)

井上 真花(いのうえみか)

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。

関連記事

マイカのニュースレターに登録

TOP

お問い合わせ

CLOSE

お問い合わせ