【#0038】大切なのは「バランス」と「中庸」。その先に平和な世界がある

水野いくえさん(以下、いくえさん)と初めてお会いしたのは、2年前、水城ゆうさんが開催する「共感手帳術」ワークショップでした。その後、いくえさんが世話人をされている「なごテツ」という哲学カフェにお邪魔する機会があり、私も「なごテツ」の世話人のひとりとして参加するようになってから、どんどんお会いする機会が増えていきました。……といっても、禍だったので、ずっとオンライン上でしかお話ししていませんでしたが。

先日、ようやく東京都の緊急事態宣言が解除されたので、名古屋出張のついでにいくえさんに会いに行くことにしました。せっかくの機会なので、再開した1000人をお願いし、名古屋のカフェでお話しを聞かせていただきました。


井上 いくえさんは「老子」が好きなんですよね。それはいつ頃から?

いくえ 20年前だったかな。本屋で加島祥造さんの「タオ」という本を見つけて読んでみたら「ああ、タオいいなあ」って。

井上 その前は老子のことは知らなかった?

いくえ たぶん昔から好きだったと思います。教科書にちょっと出てくるじゃないですか。そういえば、アリストテレスの「中庸」も好きでした。先生が黒板に「中庸」と書いたとき、「中庸、いいな!」って思ったんですよ。そのときのこと、今もはっきり覚えています。

井上 なぜ「中庸」がいいと思ったの?

いくえ どうしてかなあ。理由はよくわからないけど、「中庸」と聞いてピンときたんですよね……そういえば、よく友だちから「いつも『バランス』って言っているよね。あれ、口癖だよね」と言われていたけど、それと関係あるのかな。

井上 「バランス」と「中庸」が関係ある?

いくえ うーん、関係があるのかな……。きっと偏りたくないんですよね。偏ると、疲れるじゃないですか。だから、「こっちに行きすぎたなー」と思ったら、その反対側に戻るようにしている。そうやって楽(らく)に生きようとしているんじゃないかな(笑)。

井上 「楽に生きる」と言えば、いくえさん前に「のん氣にくらしなさい」という言葉が好きといっていましたね。あれは、誰の言葉でしたっけ。

いくえ 水木しげる先生の言葉ですね。マンガ以外で水木先生の本を初めて読んだのは、中学のとき。「のんのんばあとオレ」という自伝でした。その本を読んだ後、なんて素敵な人なんだろうと。でも「のん氣にくらしなさい」という言葉はその本ではなくて「水木サンの迷言366日」という本にあったんです。それに水木先生の「のん氣」はすごく深いと思います。なにもかも受け入れて呑み込んだ「のん氣」みたいな気がする。単なるお気楽さじゃなくて。そしてよく考えてみると、みんな同じことを言っているんじゃないかな、って。老子も、水木しげるも、アリストテレスも。

井上 ちょっと「バランス」の話に戻りましょう。「バランス」が大事だと思ったのは、なぜ?

いくえ どうしてかな。自分でもよく覚えていないけど……子どもの頃、我が家は四人家族だったんですけど、二人が言い争いを始めて、もう一人がそれを見て泣き出したりすると三つ巴の混乱状態になってしまう。私はその三人を見ていて「あの中に入っていくのは嫌だなあ」と思ったんです。そのとき「偏り」を意識したのかもしれません。いまはバランスが崩れているから、私がこのあたりでちょっと小噺でもして笑わせてみようかと思ったりして。

井上 みんなが騒いでいる輪の外側にいくえさんがいて、「さて、どうしたものか」と冷静に考えている感じ?

いくえ そうですね。バランスをとって平和を取り戻したいと思っていたんだと思います。しばらく様子を見ていると、みんなちょっと辛そうだし、嫌だなあと。一緒になって自分もその輪の中に入っても、きっとよくならないよねと。だから、状況を少し引き戻して平らにしたいなあという感覚かな。そんなことを考えていたような気がします。でも本当は、一緒になって「うわぁー!」と言いたかったのかもしれない。それを我慢して、気持ちを抑えていたのかも。

井上 気持ちを抑えると鬱屈が溜まって、ある日爆発したりするんじゃないかと思うんですけど、そういうことはなかったんですか?

いくえ そこまでにはならなかったかな。私はあまり感情の起伏がなくて、ずっと凪いでいるタイプかも。その性格が「中庸」や「タオ」、バランス感覚を好む方につながっていったのかもしれませんね。これは、いい、悪いじゃなくて、好みの問題かもしれない。ただ、そうそういう状態や在り方が好きという。

井上 いくえさんはフォーカシングを続けていますが、それはバランスをとるのに役立っているんでしょうか?

いくえ そうですね。私、いろいろ頭で考えることが多いんですけど、頭だけだとバランスが悪いから、身体もちゃんと見ていかなくちゃとは思っていました。そう考えると、フォーカシングっていいな、とピンときたのもバランスを重視した結果だったのかも。

井上 バランスと中庸を大事にしていくと、その先にはどんな世界があると思いますか?

いくえ その先には「ALL OK」の世界があるんじゃないかな。なにかを見て、そこでなにかを感じて「こうなんだなあ」と思っても、それはそのままにしておく。そのときなにかを判断するのではなく、少し離れて眺めているような感じ。気持ちが凪いでいるときもあれば、揺れているときもあるし、強く動揺しているときもある。それを見て、「ああ、私は今そういう気持ちがあるのか、そういう状態なんだなあ」と思って観ている。いいも悪いもなく全部「そうかー」とみとめる。

井上 急に怒り出したり、攻撃したりする人の前でも、そんな風に考えられますか?

いくえ そのときは「この人はこんな風に考えるんだなあ」と思うようにしています。「その人はそうしたいんだなあ」と見ているだけで、相手を変えようとか、なにかしようとかせずに。そうすると、心の平和が保たれます。

井上 それはかなり難しそう。

いくえ もちろん、そうできない時や逃げる時もあります(笑)。でもその瞬間は動揺しても、あとからでもそう考えると落ち着きますよね。ただ、反応が薄いうえに、自分がやりたいことにも正直なものだから、「冷たい人」や「自己中心的な人」と思われることもあります。そういうときは、「私、自己中だから」って言っちゃう。自己中キャラって思われてもいいんです。自分の自己中を許すことができれば、他人の自己中も許せるようになって楽(らく)です。他者を否定しないという前提で、みんな自分が好きなように行動したら、意外に自然とバランスがとれちゃうかも(笑)。

井上 哲学カフェで自分と全く違う意見の人の話を聞いたとき、いくえさんはどう思いますか?

いくえ たとえば、ある問題が話題になって「もっとちゃんと考えたほうがいい」と言われて、きっとそうなんだろうなと思っても、私には興味が持てずに「のん氣にくらす」方がぴったりくるなあと思う時もあります。でもその人にとっては、そうじゃないんですよね。私とは違う世界を見ているのかもしれない。だとしたら、その人が見ている世界もちょっと見てみたい。だから、片足だけその世界に参加してみるんです。で、その人が見ているメガネをちょっとだけ借りて、そのメガネから見た世界を見て考えてみる。

井上 なるほどね。私は「あなたはそうなんだね」で終わってしまうけど、いくえさんはあえてその世界に片足だけ突っ込んで、そこから見える景色を見てみようとする。

いくえ きっとその世界は、その人にとっては現実だから。だから、そっちにも少しだけ参加してみて、その世界を体験してみとめていく。このあたりも、私が大事にしている「バランス」や「中庸」と関係あるのかもしれませんね。

井上 真花(いのうえみか)インタビュアー

投稿者プロフィール

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。日本冒険作家クラブ会員。

長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。

主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。

プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。ライフワークは「1000人に会いたいプロジェクト」

井上真花の公式ホームページはこちら

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