【コラム】虻は障子の穴を見つけられない

昔から仲がよかった仲間を集めて、LINEグループを作りました。みんな、住んでいる場所がとても離れているので、会おうと思ってもせいぜい年に一度が限界。個別に電話することはできても、みんなで話すことはできなかったんですが、LINEグループのおかげでいつでも話せるようになりました。たまにで「飲み」ならぬ「LINEお茶会」を開いています。

ある日、メンバーの1人がぽつりと自分の悩みについて話し始めました。大事な友人の一大事ですから、他のメンバーは熱心に彼女の話を聞き、「こうしてみたら」「こういう手もあるかも」といろいろ提案します。彼女は、その提案のひとつひとつに「ありがとう」と感謝を示しつつ、最後は「私、頑張ってみる!」となりました。

一見「めでたし、めでたし」にも見えますが、私は正直、複雑な気持ちになりました。果たして適切なアドバイスができたのだろうか、余計なことを言ってしまったのではないか。彼女はこの後、どうするのだろうか……。考え始めると、気になって仕方ありません。なんとか苦境から救いだすことはできないか、と悩みながらネットの記事を見ていたところ、こんな記事を発見!

https://www.zen-essay.com/entry/huugai-honkou

記事のなかで紹介されている風外本高(ふうがい・ほんこう)という僧侶は、説法の中でよく「虻と障子の話」というたとえ話をしたそうです。そのたとえ話がまさに今の彼女の状況にぴったりと思い、大変腑に落ちました。ここでは、その話の詳しい説明は割愛しますが、もし内容を知りたい方は、ぜひ引用元のブログをご覧ください。

ブログを執筆している佐藤隆定さんは、「虻と障子の話」のあと、このように続けていらっしゃいました。

悩みというのは往々にして視野を狭めるものである。
知らず知らずのうちに1つの考えに捉われてしまい、存在するはずの解決の糸口がまるで見えなくなってしまうことがよくある。
人から指摘されてはじめて気付くということがあるが、風外が説いたのはまさにそこなのだろう。
答えを説く必要はない。そもそも答えは本人のなかにしかない。本人が考える以外に得ようがない。
風外が説いたのは答えではなく、答えにいたる道筋であったのだ。

https://www.zen-essay.com/entry/huugai-honkou

これを読んで思ったのは、結局、答えは自分の中にしかない、ということ。誰が何を言おうと、答えを見つけるのは彼女自身。冒頭の例でいえば、私やほかの友人がなにをいったところで、それが答えにはならない。どう行動するか、そこからなにを見つけ出すかは、すべて彼女次第なんですよね。

ただ「虻と障子」の話のように、その答えを見つける道筋は、ほかの人と話すことによって見つけ出せるかもしれません。きっと彼女も、自分が考える以外の選択肢(視点)が知りたくて、私たちに相談したのでしょう。

そうそう。LINEグループで話をしている中で「哲学カフェに参加してみては?」という提案もありました。確かに、哲学カフェはいろんな人の見方を学ぶ場にもなり得ます。

最近は禍の影響で開催を休止しているカフェが増えていますが、なかにはZoomを使ってオンラインカフェを開催しているところもあります。「障子の穴を見つけたい」方は、参加してみてはいかがでしょうか。

井上 真花(いのうえみか)インタビュアー

投稿者プロフィール

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。日本冒険作家クラブ会員。

長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。

主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。

プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。ライフワークは「1000人に会いたいプロジェクト」

井上真花の公式ホームページはこちら

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