【インタビュー】N0. 0014 子育てしながらフルタイム勤務の内田容子さんが語る、HAPPYに生きるコツ

内田さんとは仕事の関係で知り合いましたが、お話していると楽しくて、お会いして以来、プライベートでもお付き合いするようになりました。6月某日、マイカ創業18年のお祝いにわざわざ来て下さったので、ついでにインタビューをお願いしたところ「いいですよ!なんの話にします?」というお返事。そこで、ずっと私が不思議に思っていたことを聞いてみることにしました。

 内田さんが仕事を始めて、今年で何年ですか?

内田 1994年入社なので、25年になります。

 中学生と高校生になった娘さんと、21歳になる大学生の息子さんがいるんですよね。3人の子育てをしながら仕事を続けるのは大変だったでしょう。途中で辞めようとは思いませんでしたか?

内田 思わなかったですね。その理由は、子育てをしながら仕事を続けれられるかどうか悩んだとき、従姉からこんな話を聞いたからなんです。

彼女は、子育てしながら仕事を続けることに限界を感じ、一度仕事を辞めてしまったそうです。その後、仕事に復帰しようとしたら、やりたい仕事を手にすることができなかった。それを後悔しているようでした。だから私に「辞めるならいつでも辞められる。辞めなくてなんとかなる間は、続けてみた方が良い」とアドバイスしてくれたんです。

でも、実は何度か「辞めた方が良いかな」という考えがよぎったことがありました。子育てしながら仕事をしていると、いろいろありますよね。突然子どもが熱を出して仕事を休んでしまったり、早退しなければいけなかったり。そのたびに周りの方々にご迷惑をかけるのは申し訳ないと悩み、そのことを上司に相談したんです。

すると、その上司が「手術をするために半年休んだ社員がいたけれど、その人は復帰してからしっかり働き、今は出世もしている。仕事をする能力さえあれば、少しぐらいのブランクはなんの問題もない。会社はちゃんと受け入れてくれる」と言ってくれて。

それを聞いて、私も確かにそうだと思ったんです。とにかく、やれるだけやってみよう。周りにご迷惑をかけてしまうかもしれないけど、その分、仕事はちゃんとできるようになっていけばいい。どうしても無理だと思ったら、そのときは休むか、辞めるという判断をすればいいんだって。今は亡き上司ですが、相談して本当に良かった。今でも感謝しています。

 とはいえ、子育て中はいろいろと制約もあるでしょう。たとえば、保育園のお迎えがあるから残業できなかったり、出張に行けなかったり。

内田 いえいえ、残業もしていたし、国内出張はもちろん、海外出張も毎年のように行っていましたよ。

 えええ! いったい、どうやって?

内田 私は周りに恵まれていたんです。保育園のママ友は、バリバリのキャリアウーマンが多くて、「いろいろあるけど助け合ってやっていこう!」とお互いに助け合う同志のような間柄でした。だから、残業するときはママ友に「今日は残業なの」と相談すると、「大丈夫、私、今日は早く帰れるの。容子さんのお子さんたちも一緒にピックアップしておくわ!」と言ってくれる。残業が終わってその人の家にお迎えに行くと、すでに食事もお風呂も済ませてあって、パジャマまで着せておいてくれる。もちろん、私が早く帰れる日は、私も同じことをするんです。

学校のママ友(専業主婦)や学童保育の保護者(自営の親)たちは、夏休みの時期や休日になると、我が家の子どもを迎えにきてドライブや遊びに連れ出してくれたり、預かってご自宅で遊ばせてくれたりしました。みんな、うちの子どもたちを自分の子どもと同じように可愛がってくれて。周りからのご好意は遠慮なくお受けして我が子をお任せし、無理のない範囲で恩返しする。それが良かったのかなぁ。

それから、両親と妹の助けもありました。毎週は無理だけど、月に一度なら」と、私が出張の時には実家から母や妹が来てくれました私をサポートする母を、我が家に気持ちよく送り出してくれていた父にも感謝です。母は子どもたちに絵本をたくさん読んでくれたり、お花が好きなので花壇や庭木の手入れもしてくれたりしました。出張から疲れて帰ってきたとき、空に向かって咲く花や風に揺れる木々を見て、元気をもらえました。母と自然は偉大です!

 なるほど。ところでうちの娘も今、仕事をしていて、子どもふたりを保育園に預けているんだけど、毎朝、家事と子どもの準備が大変だってぼやいていたんです。内田さんはそういうことはなかったんですか?

内田 もちろん、ありましたよ。親って毎日修行している感じですよね。相手は生き物だから、思うように動いてはくれない。私はそういうとき、なにをどうすれば良いのか?と考えるようにしていました。子どもは自分じゃないから変えられない。だったら、自分自身を変えるしかない。では、自分にできることはなにか? それを考えて実行してみるのです。

たとえば朝の準備がうまくいかないとき、私にできることは2つ。フレックスを使って出勤時間をずらし、子どものペースにあわせて余裕をもって(できれば優雅な気持ちで)準備する。それができないときは、前の日に準備できることは準備しておいて、朝は速攻でご飯を食べさせ、子どもを自転車に乗せて保育園に向かって走り出す。もう、どちらか選んでやるのみ(笑)。

私 すごく合理的! いつもそんな風に考えるんですか?

内田 そうですね。考えればなんとかなりそうと思ったら、とことん考える。3分考えてもどうにもならないことは、すぐに諦めるか他の方法に切りかえる。この指針を決めて以来、あまり悩まなくなりました。

 それ面白いですね。私もやってみよう。

内田 娘がまだ小さな頃、保育園の先生に「お子さんが膝の上に座りたがる。ご自宅でちゃんと膝に座らせたり、抱きしめてあげたりしていますか?」と言われたことがあったんです。出来る限りしているつもりでしたが、ああ、足りないんだと思いました。

私が仕事していなければ、もっと構うことができるのにという罪悪感のようなものもあり、どうしたら良いのかと悩みました。でも、仕事を辞めなければこの悩みは根本的に解決しない。現状を冷静に見つめると、悩んでも無駄なんです

だから、まずは倍くらい子どもを抱きしめよう、と気持ちを切りかえました。解決できることはするけれど、悩んでもどうにもならないことは悩まない悩むのは3分だけにして、あとは他のために時間を使おうと、この時に決めたんです。

それから、物事の受け止め方を変えると、悩みが減って幸せ度がUPするように思います。たとえば、子どもを誰かに預けるということ。これは賛否両論ありますが、私はワーキングマザーですので、他の人の力を借りないとなりません。

でも子どもの立場で考えると、決して悪いことではないと思うんです。ママ友の家でお世話になったり、私の母に面倒をみてもらったりすると、そこでいろんな価値観に触れられる。子どもなりに気も遣うだろうし、親がいないことで大変なこともあるだろうけれど、自分で考える力や判断力も養われると思うんです。

そういう風に考えると、人に子どもを預けたり、誰かにお世話になったりすることも決して悪くない。だから、子どもを迎えに行ったときは「ゴメンね」と言うのではなく、「偉かったね、凄いね!」と。そして親子でニコニコ帰る。そのほうがいいですよね。

お母さんは、あまり悩まず、笑顔でいる方が良いように思います。危ないことをしたり、他人にご迷惑をかけたりした時には、鬼のように怖い顔になってしまいますが、できるだけ優しく穏やかな気持ちで子どもと向き合おうと自分に言い聞かせました。

今は思春期の娘たちを抱え、幼少の時とは違ってまたいろいろありますが、やっぱり笑顔で穏やかな気持ちでいたいと思います。

 ところで、旦那さんは子育てに協力的ですか?

内田 子どもたちが小さかった時、夫が仕事の関係で、年に2/3は海外にいるという時期もありました。だから、夫は協力したくても育児ができなかった。いまでいう「ワンオペ」ですよね(笑)。

つらいと思えばつらいんでしょうけど、私はそうは思わなかった。自分が育てているのは他人の子どもではなく、私が生んだ子ども。動物や小鳥だって、親が子どもに餌を運んできて育てるんです。私が、子どもに食事をさせて面倒をみるのも自然なことですよね。それに夫は私に好きなようにさせてくれていたので、ずっと仕事を続けることができた。とても感謝しています。

そうそう、彼の一言に救われたこともありました。仕事で帰りが遅くなって「今からだとお風呂に入れられない。どうしよう!」と言ったら、彼は「大丈夫だよ。毎日子どもをお風呂に入れていない国、たくさんあるから」と(笑)。それを聞いて肩の力が抜け、それからは毎日のお風呂にさほどこだわらなくなりました。

 でも、毎日の食事の支度は大変だったでしょう?

内田 確かに。帰ってきてから夕食の準備をすると大変なので、私は朝に、3食分を作るようにしていました長女をおんぶして朝ごはんの準備をしながら長男のお弁当を作る。そして長男に朝ごはんを食べさせるのと同時並行で、シャトルシェフ(保温鍋)に夕食の材料を入れてセット。そうすれば、夜も温かい料理がすぐに食べられるし、帰宅後に子どもと笑顔でいられる時間が増える。結果的に自分もラクチンでHAPPYです!

あと、少しだけ工夫をすると、体力的にも楽ができますよ。たとえば、お料理に玉ねぎと人参を使うなら、半分は朝の野菜スープにして、あとの半分は夜のラタトゥユの具材にする。ラタトゥユが残ったら、それを翌日のカレーに変身させちゃうとか。

 なるほど、やっぱり内田さんの考え方、合理的ですね。娘にも教えたいなあ。

内田 今は子どもたちも大きくなって自立しはじめているので、さらに自由な時間ができました。その時間を使って、いろいろやっています。たとえば、女性の活躍を応援するNPOで活動したり、週末に友人のイベントなどを手伝ったり。副業NGなので、今はボランティアで(笑)。

 そんなことまで? 内田さん、毎日忙しいのに、そんなことやる余力があるんですね。すごい。

内田 NPOは余力と言うより、やりたいことがいろいろとあるので好きでやっている感じです。女性として企業で25年間働いてきたからこそ見える、社会や企業の課題や改善点もある。だから、子育てが一段落した今、アフターファイブや休日に活動するんですね。

子どもたちが将来大きくなった時に、今よりも良い社会になっていて欲しいな、という気持ちもあります。だからNPOは皆でやりたいことを実現するプラットフォームのようなイメージです。そして、妻でも母でも会社員でもない「自分」の居場所を作って、一緒にいて気持ちの良い仲間たちと意義のある時間を過ごす。

今後、両親の介護もすることになるでしょう。でも、いつでも自分の中でバランスをとりながら、やりたいことにチャレンジし、HAPPYに生きていきたいなと思います。

 やりたいことがやれるプラットフォーム、たしかに必要ですね。これから内田さんがどんな風に活躍されるのか、とても楽しみです! 

井上 真花(いのうえみか)

井上 真花(いのうえみか)インタビュアー

投稿者プロフィール

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。日本冒険作家クラブ会員。

長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。

一般誌や専門誌、業界紙や新聞、ネットコンテンツ、広報誌などの制作をするかたわら、電子書籍専門の出版社「マイカ出版」を立ち上げ、オリジナル作品をパソコンおよび携帯電話の電子書籍の販売サイトにて販売している。

プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として、哲学カフェ@神保町の世話役を担当。趣味は考えること。ライフワークは「1000人に会いたいプロジェクト」

井上真花の公式ホームページはこちら

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