テレビは、エアコンをつけっぱなしにしろと言っている。切るな、我慢するな、と。行政も今年の夏の電気・ガス代を補助するという。ありがたい話だ。ありがたい話なんだけど、ちょっと待てよ、とも思う。省エネは、どこへ行ったんだろう。
つまり、そんなことを気にしていたら倒れる、ということなんだろう。
首に保冷剤を巻いて取材に行く
先日、取材で外に出た。最高気温38度。日差しは肌に刺さるようで、目的地まで歩いているだけで疲れる。無事に着いて仕事をして帰ってきただけで、よくやった、と自分を褒めてやりたいくらいだった。
装備も増えた。首に巻く保冷剤。保冷袋に入れた予備の保冷剤。扇子、帽子、日傘、水筒。数年前なら「持ってる人もいるね」くらいのものだったのに、いつのまにか当たり前の一式になっている。
そしてこの前ついに、中東の伝統衣装のほうが涼しいんじゃないかと思って調べ始めた。全身を覆って直射日光を遮り、内側に風を通す。理にかなっている。しばらく真剣に読んでから、いや違う違う、と我に返った。東京の話をしていたはずだった。
みんなが省エネの話をしていた頃
こんな夏になるとは思っていなかった。
僕が思い出しているのは、2000年代の後半から2010年代の初めごろだ。京都議定書の約束期間が2008年に始まって、日本は2012年度までに温室効果ガスを6%減らすことになっていた。テレビでも店頭でも、やたらと「省エネ」という言葉を見た気がする。家電量販店の値札には補助金の文字が並び、エコポイントがどうという話をみんなしていた。データセンターの取材に行けば効率の数字を自慢されたし、同じころPC業界ではCPUがクロック競争から降りて、電力あたりの性能を競うようになっていた。あれは発熱の限界という技術側の事情が大きかったけれど、時代の風向きとはよく合っていた。2009年には鳩山さんが「2020年までに1990年比25%削減」と言い出して、正直、無茶だろうと思った記憶もある。ともあれ、官も民も、それなりに本気で削っていた時代だった。
あの頃、補助金は省エネ家電に付いていた。そして2024年の夏、僕らが受け取った値引きには「酷暑乗り切り緊急支援」という名前が付いていた。今年も7月から9月の使用分に補助が入る。同じ国が配る同じ値引きなのに、行き先だけが入れ替わっている。
もちろん省エネ政策そのものが消えたわけじゃない。断熱改修や高効率エアコンへの補助はいまも続いているし、経産省は今年も例年どおりの省エネを呼びかけている。消えたのは制度ではなく、たぶん空気のほうだ。
そして日本は、その6%をきちんと達成した。国連の審査を経て正式に決まった達成だ。鳩山さんの25%のほうは震災のあとに撤回され、もっと控えめな数字に書き換えられて、それも達成した。約束は、たしかに守られている。ずるい、とは思わない。震災があった。原発が止まった。事情はわかる。
プールに、入れない
子供の頃の夏休みは、公園と区民プールでできていた。後楽園にまだ大きなプールがあって、流れるプールに連れて行ってもらったこともある。日差しは強かったし、肩の皮はむけた。でも、倒れるような温度ではなかった気がする。
いま、学校からプールが消えつつある。屋外プールは直射日光と水温上昇、プールサイドの照り返しで熱中症リスクが高い。地域によっては、ひと夏に一度もプールに入れなかったという話も出ている。老朽化した施設の改修費と教員の負担も重なって、実技をやめて座学に切り替える中学も相次いでいるという。2025年の夏は、日本の平均気温が平年より2.36度高く、統計開始以来もっとも暑い夏だった。
そして今年も、こうだ。
命に関わる暑さです。不要不急の外出はお控えください。
僕はプールに連れて行かれた。いまの子は、プールから遠ざけられている。同じ「夏だから」という理由で。
順路の最後は、人新世だった
冬に、上野で「大絶滅展」を見た。地球の生命は何度も大量絶滅を経験していて、特に規模の大きかった五回は「ビッグファイブ」と呼ばれる。展示に並んでいるのは、その原因だ。恐竜の時代を終わらせたK-Pg境界の隕石。史上最大とされるP-T境界の絶滅を引き起こした、桁外れの火山活動。何が生き物を絶やしたのか、犯人が順に置かれている。
そして順路の最後にあったのが、人新世の展示だった。海底から抜いた堆積物のコアに、核実験の放射性物質、化石燃料の燃焼で出た微粒炭、鉛や水銀、マイクロプラスチックまでが記録されている。人間活動の痕跡が、そのまま地層になっている。五回分の犯人を見せたあとに、現在進行形の地層を置く。次があるなら原因はお前たちだ、と言われている気がした。
もっと暑い地球にも、生き物はいた
でも、あの展示で一番インパクトがあったのは、絶滅のほうじゃない。絶滅のあとには必ず別の何かが繁栄している、という筋書きのほうだった。
そもそも地球は、いまよりずっと暑かった時期がある。恐竜が栄えた白亜紀は現在より高温で、極地に氷床がほとんどなかったとされる。それでも生き物はいたし、盛大に栄えていた。そして絶滅して、別の何かに入れ替わって、その系譜のどこかから枝分かれして、いま僕が保冷剤を首に巻いて夏を歩いている。つながっているのだ。四十億年の、切れ目のない一本の線として。
地球は誰かのために温度を保っているわけじゃない。人間に都合のいい気温の幅というものが、たまたま何万年か続いていただけなのかもしれない。省エネ家電も補助金も削減目標も、その幅の内側にいたい人間の側の事情だ。地球のほうは、たぶん何も約束していない。
でも、何も約束していないというのは、たぶん救いでもある。誰とも契約していないから、契約する相手がいなくなっても、あの線は途切れない。人間が絶滅しても、たぶん地球は続く。そう思うと、少し気が楽になるのだ。
窓の外は白く光っていて、今日も出るなという。サスティナブルという言葉を、僕はどこかで地球のことだと思って聞いていた気がする。持続してほしいと願っているのは、いったいどっちなんだろう。