ニュースで見た話だ。スキーをしていた人がいて、それがきっかけで雪崩が起きて、別の場所で冬山登山をしていた人が亡くなった。
滑っていた人は、まさか自分の滑走が誰かの命を奪うなんて、これっぽっちも思っていなかったはずだ。ただ気持ちよく雪の上を滑っていただけなのに。
ブレーキのない乗り物
寒いところはダメだし、そもそも運動が得意じゃない。世の中には身体の動かし方を知っている人がいるらしいが、僕はまず考える。だからぎこちない。考えている間に状況は刻々と変わって、身体はそれに対応できないのだ。
一度だけ職場の人に連れて行かれて、止まり方も曲がり方も教わらないまま滑らされたことがある。思った方向には行かない。スピードだけは出る。結局、止まるためには勇気を持って転ぶしかなかった。ブレーキのない乗り物は制御ができない、と思い知った。
だから僕にはスキーの楽しさがわからない。ただ、それが大好きな人がいることは理解できる。速度も風景も、きっと素晴らしいのだろう。その楽しさの先に人の死があったというだけで。
誰も三手先を見ていない
風が吹けば桶屋が儲かる、という話がある。因果が回り回って予想もしない場所に届くという寓話だが、あれを本気で計算しながら風を眺める人はいない。
タバコのポイ捨てで雑居ビルが燃えて、消防関係の人が亡くなったというニュースも見た。タバコを捨てたら人が死んだ。書いてみると馬鹿げた文だが、実際にそういうことが起きている。
事情は知らないが、誰かを殺そうと思って滑った人はいないはずだ。それでも人は死ぬ。世の中がつながっているというのは、たぶんそういうことだ。美しい話としてではなく。
窓を締め切る
では、何もしなければいいのか。誰にも影響を与えないように、じっとしていればいいのか。
そうではない、と思う。それだと自分の心のほうが死んでしまう。
10年ほど前、子育て系の取材が多かった時期に、子育て支援の専門家のぼうだあきこさんから産後うつの話を聞いたことがある。産後うつになると、窓も戸も締め切って、外に出てこなくなるのだそうだ。ご近所迷惑かもしれない、どうしよう。そう考えているうちに、どんどん引きこもっていく。目の前に可愛らしい赤ちゃんがいても、気持ちは落ちていく一方だという。
正直、驚いた。ちょうど僕の娘の出産が間近だった。そうなったら大変だ、孤立させないようにしないと、とその場で考えていた。
孤立すれば疲弊する。だって、どうやったって人は周りとの関係性の中でしか生きられないのだから。窓を締め切っても、外とのつながりが消えるわけじゃない。入ってくるものが消えるだけだ。
全部に名前がある
締め切った部屋の話をしていると、いつも曼荼羅を思い出す。
僕は胎蔵界曼荼羅が好きだ。大日如来を中心に、無数の仏が整然と並んでいる。以前、奈良国立博物館の空海展で巻物を見た。曼荼羅に描かれた小さな仏の一つひとつをまとめて、説明書きが添えられていた。名もなき背景ではなく、全部に名前があるのだ。
雪崩で死んだ人にも名前がある。ビルの火事で亡くなった人にも名前がある。滑っていた人にも、タバコを捨てた人にも。誰も背景ではない。
そして、これを書いている僕にも名前がある。みんな曼荼羅の隅で、名前を持ったまま座っている。
大日如来は、その世界を余すことなく光で満たそうとしている。締め切っていたら、その光は受け取れない。
だから窓は開けておくしかない。光も雪崩も、たぶん同じ場所から来ている。