テレビをつけると、ここ最近、同じニュースが流れてくる。ある県議会で、議長や副議長の席が金で売り買いされていたのではないか、という疑惑だ。数百万円とも、数千万円とも報じられている。名指しされた側は否定していて、話は平行線らしい。
スタジオの人は怒っていた。世間も怒っているようだった。ただ、僕の中に最初に立ち上がってきたのは怒りではなくて、もっと間の抜けた疑問だった。副議長の席って、そんなに欲しいものなのか。
席を欲しがったことが、たぶん一度もない
学生の頃、何とか委員を決める時間があった。まったく興味がなかった。押し出される形で何かの委員会に入った気もするのだが、それが何だったのかもう思い出せない。その程度の関わり方だった。
いま住んでいるマンションの自治会は当番制で、順番が回ってくればやる。誰かがやらないと回らないことはわかっているし、断ろうとも思わない。ただ、積極的にやりたいかと言われれば、まったくそんなことはない。
気になって少し調べてみた。議長や副議長になれば議会の進行に影響力を持てるし、人脈が広がり、地元で実績として語れて、次の役職にも近づきやすくなるという。給料が何倍になるという話ではなくて、政治家としての将来のほうに効いてくるらしい。
理屈としてはわかる。ただ、それがあれだけの金額と釣り合うという感覚のほうが、どうしても入ってこない。
僕は、自分で書いたものを買ってしまう
もっとも、他人の金の使い道を不思議がれるほど、僕自身の使い道に筋が通っているわけでもない。
以前、ネットワーク機器の広告原稿の依頼があった。取材をして、その製品の良いところをきちんと理解して、原稿にした。ここまでは普通の仕事だ。問題はそのあとで、あまりに良いと思ってしまったものだから、自宅のネットワーク機器をそれに入れ替えた。
家電のレビューを書いていた時期は、もっとひどかった。節水できる縦型の洗濯機。雨の日でも洗濯物が乾く除湿機。フィルターをがばっと交換できる空気清浄機。書くたびに家の中のものが入れ替わっていった。原稿料と買った金額を並べたら、あの時期はたぶん赤字だったと思う。
言い訳をすると、暮らしはよくなった。本当に使い勝手のいいものに差し替わって、生活の質は明らかに上がった。だから後悔はしていない。していないのだが、冷静に考えると、僕は自分で書いた文章に説得された人間である。
ちなみに今も懲りていない。ローカルでLLMが動くMacBookが欲しくて、しばらく前から値段を眺めている。
順番が、どうにもわからない
そこで一つ、あまり考えたくないことがある。
良いと思ったから、良いと書いた。自分ではそう思っている。ただ、広告の原稿というのは、良いと思えなければ書けない。だから良いと思うことにした、という順番だった可能性が、まったくないとは言えない。買ったのは、その答え合わせだったのかもしれない。
どちらが先だったのか、いまでもはっきりしない。
思えば、僕の好き嫌いは昔からあまり正確ではなかった。20代の頃、ThinkPad 220を使っていた。乾電池で動く小さなノートパソコンだ。持ち歩けるパソコンなんてほとんどなかった時代に、あれは本当によくできていた。同じくらい小さなPalm Top PC 110も使ったし、少し後の話になるが、天面がピアノのように光るi Series s30も好きだった。とにかくIBMの端末が好きで好きで仕方がなかった。
だから、初めてIBMに取材に行ったときは、一人で勝手に盛り上がっていた。相手はサーバーの部隊だった。ThinkPadとは何の関係もないし、そもそもコンシューマーの話ですらない。それでも僕は、この会社が好きだという状態のまま、その部屋に座っていた。好意というのは、対象をきちんと区別してはくれないらしい。
書いていないほうが、たぶん厄介だ
僕は広告記事や導入事例を書くことが多い。金をもらって書いていることは、記事の上にちゃんと書いてある。そこは隠していない。
厄介なのは、どこにも書いていない好き嫌いのほうだ。あれは開示のしようがない。そもそも僕自身に見えていないのだから、開示のしようがない。
その点、現金はわかりやすい。額が出るし、渡した渡さないで争えるし、線も引ける。世間があれほど厳しく反応するのは、それが目に見えて、扱える形をしているからだと思う。
だとすると、あの席の問題は、価値があったかどうかではないのだろう。仮にあの席にそれだけの値打ちを見た人がいたのだとして、その気持ちのほうは、僕が洗濯機に金を出したのと地続きなのかもしれない。違うのは、洗濯機が売り物だったということだ。あの席には、そもそも値札がついていてはいけなかった。
テレビでは、まだ同じニュースが流れている。けた違いの数字が出るたび、そんなに欲しいのかな、と思う。
思いながら、またMacBookのページを開いている。たぶん買う。そして買ったあとで、それがどれだけ良かったかを書くのだろう。順番は、いつまでもよくわからない。