僕らの小さな編集プロダクション「マイカ」がある入谷という街が、先日テレビ東京の「出没!アド街ック天国」(7月4日放送)で特集されたらしい。当日は見ておらず、あとから聞いた話だ。気になって、紹介されたお店をまとめているサイトをのぞいてみたら、見慣れた店の名前がいくつも並んでいて、思わず前のめりになった。
リストの中の、いつもの店
リストの中に太田ハムの名前を見つけて、思わず声が出た。ここのベーコンは、とにかく香りがすごい。焼く前から燻製の匂いが強くて、それだけで満足してしまうくらいだ。このベーコンでポトフを作ると、いつものポトフとは別ものになる。だしを取らなくても、ベーコンの塩気と香りがスープ全体を持っていってくれる。おすすめしたい一品だ。
もうひとつ載っていたのが、そば屋「東嶋屋」の黄色いカレー。カレールーを使わず、小麦粉とカレー粉で仕立てているらしい。素朴な味で、ウスターソースをかけるとまた違う顔になる。どちらも、僕にとっては「知っている店」のはずだった。それが一覧になって並んでいるのを見ると、なぜか新鮮だった。
パン屋と珈琲豆店に、入谷が詰まっている
もう少し細かい店も載っていた。パン屋の「グーテ・ルブレ」では、「入谷アンパン」が取り上げられたみたいだ。グーテ・ルブレの近くの入谷珈琲豆店には、入谷ブレンドや鬼子母神ブレンドといった、この土地にちなんだ豆をいくつも扱っている。朝顔市の季節には、朝顔ブレンドまで並ぶ。ちょうど今がその季節だ。
パンにも豆にも、地名がそのまま名前になっている。これまでは「おいしいから買う」で済ませていたけれど、よく見ると、店の側にも「この土地の店です」という意思表示があったんだな、と今になって思う。
更地とマンションと、斜めの道
番組が取り上げていたのは、あくまで一部のお店だ。実際にここに住んでいると、もっと違う入谷の顔も見えてくる。
まず、風景が変わる速度がすごい。ある日、見慣れた店が更地になっていて、しばらくすると、そこにマンションが建っている。懐かしい建物も多いけれど、新しい建物もどんどん増えている。住んでいる人も老若男女さまざまで、活気がある街だと思う。上野にも秋葉原にも浅草にも近いので、最近はホテルも増えてきたし、大きなスーツケースを引いた観光客ともよくすれ違う。
道は、斜めのものが多い。以前事務所があった湯島を思い出すと、坂が多く、道は直角に交わっていた。入谷は逆で、坂は少ないのに道が斜めで、なんだか辻褄を合わせようとして合わせきれなかったような感じがする。それも含めて、色んな意味でギュッと詰まっている土地だな、と思う。
祭りの音と、鶯谷の気配
神社仏閣が多いせいか、6月くらいになるとあちこちからお祭りの音が聞こえてくる。道を通行止めにして出店が並ぶこともあって、それもまた楽しい。鶯谷も近いので、少し怪しい雰囲気が漂う一角もあったりする。良くも悪くも、人が生きる営みがそのまま出ている地域なんじゃないかと、僕は思っている。東京国立博物館(トーハク)や国立科学博物館(科博)まで歩いて20分くらいで行けるのもうれしいところだ。坂を登るのはしんどいけれど。
誰も言わないのに、みんな知っている
そんな神社仏閣のひとつが、入谷鬼子母神だ。
恐れ入谷の鬼子母神
という言い回しがあるのも、番組の話を聞くまで、正直あまり意識していなかった。
そういえば、前田のクラッカーを使ったギャグもなにかもあった気がする。前田のクラッカーって、そもそも何なんだろう。このギャグ、なんでみんな知っているんだろう。よくわからないけど、口裂け女みたいな勢いで、なんだか知らないうちに伝わってしまうものなのかもしれない。そもそも「恐れ入谷の鬼子母神」自体、どういうときに使う言葉なんだろう。実際に言っている人を、リアルではあまり見たことがない気がする。
ツノのない鬼と、知らなかった言葉
さらに、この鬼子母神の「鬼」の字は、正式にはツノを書かないのが正しいらしい。
ツノがあると何がだめなのか、僕にはまだよくわからない。ツノがあっても、愛情を持って子どもを育てていれば、それでいい気もする。ツノがあるということは、人の子どもを食べてしまう、ということなんだろうか。『鬼滅の刃』の禰豆子も鬼だけど、人を食べないように必死に頑張っていたはずだ。そう考えると、鬼子母神はものすごい努力をして、仏に帰依したということなのかもしれない。帰依したんだよな、たぶん。「いわんや悪人をや」的な話だったような気もするけど、そのあたりはよく覚えていなかった。
あとで調べてみたら、帰依のところは合っていた。お釈迦様に諭された鬼子母神は、最終的に教えを受け入れて仏に帰依した、という話になっている。ただ「いわんや悪人をや」は、鬼子母神とは別の話だった。あれは鎌倉時代の親鸞の教えをまとめた『歎異抄』にある、悪人こそ救いの対象になるという、まったく別の有名な一節らしい。鬼子母神の話のほうにも、実は別の「いわんや」がちゃんと出てくるのだけど、そちらは子を失う嘆きの大きさについての話だった。似た形の言葉を、勝手に混ぜて覚えていたということらしい。
見ているつもりで、見ていない
見ているつもりで、実は見ていない。そういうことは、日常のあちこちで起きているんだと思う。普段のことはあまり印象に残らないし、脳がいちいち処理するのを端折っているんじゃないかとも思う。近所の景色も、たぶんその端折られた部分のひとつだったんだろう。
知っている店ばかりのはずの特集を見て、知らないことのほうが多かった。新旧も坂も祭りも観光客も、狭い範囲に詰め込まれている街だ。近所だからこそ、その重なりを素通りしていたのかもしれない。目を凝らせば、いつもの景色も、もう少し面白く見えてくる気がしている。