新宿というと高層ビルと人混みの印象が強いが、大通りから一本入るだけで静かなエリアが広がる。奪衣婆の像を求めて訪れた太宗寺と正受院も、そういう場所だった。
奪衣婆とは、死者が三途の川を渡る際に衣を脱がせる女性。はぎ取られた衣は「衣領樹」に掛けられ、その重さで罪の深さが決まるという。なお、奪衣婆の漢字表記には2通りあり、ひとつは今回採用している「奪衣婆」で、もうひとつは「脱衣婆」だ。どちらも間違いではないが、仏典では「奪衣婆」と表記されることが多い。
はじめに訪れたのは、新宿御苑前からほど近い太宗寺。人影は少なく、表通りの賑わいとは無縁の静けさだ。都会の真ん中で急に温度が下がるような非日常を味わった。
境内に入ると、まず大きな地蔵坐像が目に飛び込む。地蔵といえば立ち姿のイメージだが、この地蔵はその名の通り座っていて、まるで大仏のようだ。

地蔵坐像の先に、閻魔堂がある。閻魔堂は金網で閉ざされていて、中は暗くてよく見えない。金網の中央部にあるブザーを押すと照明がオンになり、ぼんやりとした光が灯る。光の中に、江戸三大閻魔の一つとされる大きな閻魔像と、奪衣婆が浮かび上がった。

薄明かりのなかでその姿を目の当たりにした瞬間、緊張感が走った。闇と光のコントラスト効果で、おどろおどろしく見えたのだ。しかも、想像よりずっと大きい。しかし目を凝らしてよく見ると、奪衣婆はさほど恐ろしい表情ではない。閻魔様の隣で黙々と事務仕事をこなしているようだ。
そのあと、数分歩いて正受院へ。境内に入ってすぐ、奪衣婆像を収めた建物があった。扉は閉ざされており、ガラス越しに奪衣婆の姿を見る。下の写真でわかるように、ガラスに外の景色が反射してよく見えないが、太宗寺とはかなり雰囲気が異なると感じた。丸みのある顔立ちで、人の行いを穏やかに見つめる眼差しだ。

近くにある解説を読むと、子どもの虫封じと咳止めに効くと書かれていた。最近、咳が気になっていたので、念入りに拝んでおく。しかしこうなってくると、もう奪衣婆の役目が何なのかよくわからない。

奪衣婆を見る前は、怖い存在なのだろうと想像していた。しかし2つの像を目の前にすると、印象が変わる。恐怖ではなく、誠実さや優しさを感じる。冥界を訪れた人間に対する「どんな衣をまとって生きてきたのか」「その衣を脱いだときに何が残るのか」という問いかけは、裁きというより確認なのではないか。
余談だが、正受院の隣にある成覚寺には、「べらぼう」でおなじみ恋川春町のお墓があるという。今回同行した友人のSさんがぜひお参りをしたいというので少しだけお邪魔したが、ここもまた都会のはざまに突然現れる異世界スポットだった。境内には植物園かと勘違いしそうなほど植物が生い茂り、おびただしい数のお墓が並んでいた。ここは江戸時代に「投込寺」と呼ばれ、刑死者や遊郭で働いていた飯盛女、行き倒れなどが投げ込まれていた場所だったそう。奪衣婆は、彼らの衣もはぎとったのだろうか。

寺を出てすぐ、新宿三丁目の駅を見つけた。気づくと、いつもの喧騒が戻っている。さっきまでいた場所は、本当に新宿だったのだろうか。実は東京には、こうした異世界スポットがあちこちに点在しているのだ。