映画『マイケル』を見て感じたこと

スタッフコラム

娘と一緒に、映画『マイケル』を観てきた。彼女の年齢から考えるとマイケルのファンになる層ではないはずだが、映画を見るためだけにマイケルのTシャツとラメ入り靴下を履くほどの筋金入りのファンで、これが二度目の鑑賞だという。年代を問わず虜にしてしまうあたり、まさに稀代のスターである。

私はマイケルの全盛期をリアルタイムで見てきた世代だ。とくに忘れられないのは、「スリラー」を初めて見た夜である。大学生の頃、友人と二人、「ベストヒットUSA」で小林克也さんが「今日は音楽の歴史が動きます」と紹介した、その映像がそれだった。文字通り、この映像がその後の音楽業界を塗り替え、MTV全盛時代が訪れた。

モータウン25周年でムーンウォークを披露したステージは、実はこの「スリラー」よりも前のことだったらしい。記憶のなかでは順番が逆になっていたのだが、調べてみると1983年3月のことで、「スリラー」のビデオが公開されたのは同年12月だった。それでも、あのステージの熱狂は鮮明に覚えている。会場の興奮は瞬く間に世界中に伝わり、誰もがマイケル・ジャクソンについて語り、あのダンスを真似しようとした。今の時代であれば、YouTubeやTikTokであっという間にシェアされるのはさほど珍しいことではない。しかし、よく考えてみてほしい。あの時代はインターネットさえなかったのだ。それでも、マイケルの光は即座に地球上を駆け巡った。

そんなわけで、映画を見る前からずっとワクワクしていたが、実際に見て感じたのは、父親との軋轢による苦しみだった。マイケルは何度も自分の道を歩もうとするが、父親の存在はいつも背後から覆いかぶさってくる。ある場面では、父親が部屋で待っていて、「このあと電話でツアーに出ると言う」と一方的に告げる。マイケルはそれに言い返せない。自分の人生のはずなのに、自分だけのものにならない。その息苦しさが伝わってきた。

もうひとつ、やけどを負った事故のエピソードも衝撃だった。病院で治療を受けているとき、父親は医師に「いつパフォーマンスに戻れるか」と尋ねた。そんな親がいるのか、と驚いた。このとき、父親はビジネスのためにそう言ったのか、それとも、ステージに立つことこそがマイケルを生かすと信じていたのか。できれば、後者であってほしいと思うが、本当のところはどうだったのか。

映画だけではわからない。しかし、マイケルが子どもの頃から逃げ場のない期待と支配のなかに置かれ続けたことが、その後の彼の生き方そのものを形づくっていったのではないか、と思わずにはいられなかった。自分の意思で選んだはずの孤独な生き方の、その根っこに父親がいる。そう考えると、彼が抱えていた痛々しさの輪郭が、少しだけ見えた気がした。

もうひとつ印象に残ったのは、彼が動物実験されそうな猿を助けたり、病院でやけどをした子どもたちを見舞ったりする場面だった。気の毒な人を見ないふりができず、放っておけずに実際に動いてしまう。そういう性分の人だったのだと、映画を通して初めて知った気がする。

父親との関係と無関係ではないのかもしれない、と感じた。自分自身が、家族の中で守られるべき子どもとして十分に扱われなかった。だからこそ、目の前で弱い立場に置かれている存在を、放っておけなかったのではないか。「We Are the World」のような曲に込められたメッセージも、当時の私はどこか模範的なものとして受け取っていたが、彼自身の痛みの記憶から発せられたものだったのかもしれない、と今は思う。

私にとってマイケルは、ずっと光の存在だった。ステージに立てば、すべてを変えてしまう。しかしその光は、なぜかいつも少しだけ影をまとっているようにも見えた。

2009年9月、マイケルが急逝した直後に開かれたMTV Video Music Awardsのオープニングで、マドンナはこう語ったという。「私は彼を見捨てた。私たちは彼を見捨てた」。マイケルが健康問題やスキャンダルに苦しみ、多くの人に背を向けられていた時期があったことを、私は知識としては知っていても、実際に何が起きていたのかをきちんと追ってこなかった。

映画には、まだ続きがあるという。続編が予定されているという噂も耳にした。そこでは、彼が孤独に追い込まれていく時期が描かれるのかもしれない。それを見届けつつ、これまでとは少し違う目で、彼の光の奥にあったものを、もう少し知りたいと思っている。

井上 真花(いのうえみか)

井上 真花(いのうえみか)

有限会社マイカ代表取締役。PDA博物館の初代館長。長崎県に生まれ、大阪、東京、三重を転々とし、現在は東京都台東区に在住。1994年にHP100LXと出会ったのをきかっけに、フリーライターとして雑誌、書籍などで執筆するようになり、1997年に上京して技術評論社に入社。その後再び独立し、2001年に「マイカ」を設立。主な業務は、一般誌や専門誌、業界紙や新聞、Web媒体などBtoCコンテンツ、および広告やカタログ、導入事例などBtoBコンテンツの制作。プライベートでは、井上円了哲学塾の第一期修了生として「哲学カフェ@神保町」の世話人、2020年以降は「なごテツ」のオンラインカフェの世話人を務める。趣味は考えること。

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