本書『貧困と脳』(鈴木大介 著)では、「貧困」という社会問題を、経済的な困窮ではなく「脳の機能不全」という生理的な現象から捉え直している。著者自身が高次脳機能障害を発症した経験をもとに、貧困当事者たちが「やる気がない」「自分を管理できない」と見なされてきた背後に、注意障害、ワーキングメモリ低下、情報処理速度の遅れなど、認知機能の問題が存在することを示している。本書の狙いは、自己責任論を批判し、当事者が抱える「見えない不自由」を理解し直すことにある。
本書では、高いスキルと知能を持ちながら、仕事を続けるうえで必要な能力が欠けているため、退職せざるを得なかった女性が登場する。当初は「努力不足」や「無気力」と思われていたが、取材を重ねるうちに、彼女の脳が注意や記憶の維持に障害を抱えていることが明らかになる。
とくに「脳性疲労」と呼ばれる状態では、思考が白くかすみ、会話や文字の理解が困難になる。昨日できたことが今日はできない。その不可解な揺らぎが、当事者を深い自責の念と孤立に追い込んでいく。こういった状況が、取材対象者だけでなく、著者自身の体験として語られるため、当事者に起きていることが生々しく感じられた。
『貧困と脳』は、社会的弱者を「怠け」「努力不足」として切り捨ててきた日本社会への強い問いかけである。著者は「貧困の脳科学」という切り口で、個人の意思や性格ではなく、神経認知の不自由として貧困を再定義した。
「できない」のではなく「脳ができない状態になっている」という説明は、支援者にとっても当事者にとっても救いになる一方、サポートする側の負担の大きさも示している。とくに第5章の「動けない自分を避けるために逃避し、さらに状況を悪化させる注意固着による不動と逃避」というパラドックスは、現代社会において多くの人が抱えている課題にも通じる構造を示しているように見える。
この本が訴えているのは、「理解してあげる」ではなく「理解しようとする努力を社会が分担すること」だ。脳の機能低下は、誰にでも起こりうる。貧困は特別な人の問題ではなく、私たちが生きているこの社会の構造的リスクなのだ。他人事(ひとごと)ではなく、自分事として考えていく必要があると感じた。