上野にある科学博物館で「毒展」が開催されていました。「毒」は危険なものですが、どこか魅惑的でもあります。好奇心をそそられて、見に行ってみることにしました。
朝9時に入館し、ぐるりと一回りしてだいたい40分。当たり前だけど、毒が触ったり食べたりできるはずはありません。期待していたようなスリルを味わうことなく、ただ平和にガラスケースに収められた押し花や剥製を見て歩くだけ。正直、ちょっと物足りなく感じました。
とはいえ、毒と言えばミステリ。「薬屋のひとりごと」に出てきた白粉や、「ミステリと言う勿れ」に出てきた夾竹桃、「ソクラテス」や「チェーザレ・ボルジア」のエピソードには思わず胸をときめかさせてしまいましたが。
この写真は、会場に展示されていた江戸時代の白粉化粧。明るいところで見ると真っ白に見えますが、当時の明るさを再現すると色白の美人に見えるから不思議。これらの白粉は鉛や水銀で作られていたので、長い間使っていると、慢性中毒を引き起こすそうです。
毒展での毒の定義は「ヒトを含む生物に害を与える物質」でした。そのためブドウやニンニク、マグロも毒の仲間になっていましたが、一般的にこれらは毒と考えません。
毒展の図録の中に、パラケルススの「あらゆる物質は毒である。毒になるか薬になるかは容量によるのだ」という言葉があり、巻末に「毒は相対的なものである」とも書かれていましたが、実際、その通りでしょう。ちなみに、「薬屋のひとりごと」にもこんなシーンがありました。
とすると、なにが毒なのかは人によって違うということになります。そこで考えるのは、私にとってなにが毒なのだろう、ということ。
たとえば、読書。私は本を読むのが好き。寝る前に好きな本を読む楽しみは、ほかの何にも代えがたいと思っています。とはいえ、あまりおもしろい本だと頭が興奮して眠れなくなってしまうことも。寝る前に読む本は、あまり面白すぎるものであってはいけません。となると、面白い本は私にとって毒なのでしょうか?
おもしろいもの、魅力的なものは、ほかにもたくさんあります。こういったものは私に生きるエネルギーを与えますが、うっかり摂取しすぎると中毒・依存症気味になり、生活に支障をきたす可能性も。これぞまさに「毒になるか薬になるかは容量による」というパラケルススの言葉通り。毒にやられないよう、気をつけて楽しまねばなりません。
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