東京の静嘉堂文庫美術館で開催されている「たたかう仏像」展を訪れました。「武装している仏像」という一見矛盾した存在に惹かれて。実際に足を運んでみると、色々と考えることがありました

古代の埋葬文化を映す「俑」—色彩に残る過去
展示の中で最初に目を引いたのが「俑」(よう)です。古代中国の墓から発掘された武装した仏像で、焼き物製。何千年の時を経ながらも、当時の色彩が驚くほど鮮やかに残されていました。その美しさとカッコよさは印象的です。
武人の俑も展示されていましたが、どこかで見たような可愛らしい印象を受けました。

墓に埋葬品を配置する理由—人類共通の心理
ここで浮かぶ疑問は、なぜ多くの文明で墓の周りに俑や埴輪を配置しようとしたのか、ということです。これは、亡き者への敬意、来世への願い、あるいは死後の世界観を物質化させたいという人間の本質的な欲求の表れかもしれません。こうした習慣が生まれたことは、文化を超えた人間の共通心理があったのかもしれません。
十二神将像に秘められた干支の世界
次に強く惹かれたのが、浄瑠璃寺旧蔵の「十二神将立像」です。干支にちなんだ十二の神将像で、それぞれが異なる表情と装いを持っています。

興味深いことに、干支と十二神将は単なる数字の一致ではなく、本来的な関連性を持っています。もともと中国では、干支と十二神将が信仰と結びついていました。その影響は日本にも及び、平安時代以降、特に頭上に干支の動物を配した十二神将像が数多く作られるようになったのです。
細部に隠された可愛らしさ
像を注視してみると、各神将の頭上や体の各所に、干支にちなんだ動物たちが配置されています。鼠、牛、虎、兎、竜、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪—これらが細かく、時に可愛らしく表現されているのです。

そこで「俑」の鎧をよく見ると、こちらにも様々な動物の意匠が施されていました。肩や膝を動物が守り、帯にも龍っぽい動物の頭が……。これまで十二神将像に対しては「カッコいいなあ」という単純な感想しか持っていませんでしたが、細部に目を凝らすと、職人たちが仕込んだ無数の物語と遊び心が見えてきます。
予期せぬ出会い—曜変天目の茶碗
ところで、この「たたかう仏像」展の会場で一際異彩を放つ展示物がありました。それは「曜変天目」(ようへんてんもく)の茶碗です。
曜変天目は、日本の茶道史上最高峰の茶碗として知られています。宋代の中国で焼かれた黒釉の茶碗で、釉薬の変化により生み出される光の効果は、まさに宇宙のようだと評されます。
本物を目にするのは初めてのことでした。その瞬間の感想は、意外にも「思ったより小さい」でした。写真や文献では、その圧倒的な美しさから、より大きな存在を想像していたのかもしれません。
美術展示の意外性の価値
なぜ「たたかう仏像」展に曜変天目が展示されていたのか、その理由は謎のままです。しかし、このような予期せぬ出会いこそが、美術館訪問の醍醐味ではないでしょうか。一つのテーマに集約されない、多層的な文化の奥深さに触れることができるからです。
細部を見つめることの大切さ
今回の美術展訪問を通じて感じたのは、細部を見ることの重要性です。
遠目では「武装した仏像だ」「カッコいいな」という印象だけかもしれません。しかし、近づき、細部に目を凝らし、その背景を知ろうとすると、作品は途端に生命力を持ち始めます。干支の動物たちの表情、色彩の濃淡、鎧の複雑な意匠—これらすべてが、職人たちの思考と時代の信仰を物語っているのです。
仏教美術、特に十二神将像のような作品は、単なる宗教的な存在ではなく、古代人の美意識、信仰心、そして遊び心が結晶した作品なのかもしれません。
次回の美術館訪問への誘い
もし機会があれば、ぜひ足を運んでみてください。そして、展示されている作品を遠目で眺めるだけでなく、しっかりと確認し、細部に隠されたなにかを探してみることをお勧めします。そこには、現代を生きる私たちが忘れかけている美しさと、想像力の豊かさが眠っているはずです。