『目的への抵抗』(國分功一郎)は、コロナ禍という非常事態をきっかけに、私たちの社会や思考を支配している「目的」という概念そのものを問い直す一冊だ。感染対策、不要不急、効率、スピード、管理。こうした言葉が当然のように使われるなかで、私たちは「正しい目的のためなら、多少の犠牲や制限は仕方がない」と考えるようになってはいないか。本書は、その思考の前提に立ち止まることを促す。
扱われるテーマは、自由、民主主義、死者の権利、行政権力、消費社会、遊び、政治と行政の違いなど多岐にわたる。しかし全体を貫いているのは、「あらゆる行為を目的に還元しようとする社会」への違和感である。
本書では、ジョルジョ・アガンベン、ヴァルター・ベンヤミン、ハンナ・アーレント、プラトンなどの思想を参照しながら、現代社会の構造を丁寧に読み解いていく。
まず問題にされるのは、生存のみを最上位の価値とする社会だ。生き延びることが絶対化されると、死者への敬意や、移動の自由、他者との関係といったものが後景に退く。アガンベンが指摘した「死者の権利」や「剥き出しの生」は、その象徴である。
次に浮かび上がるのが、「不要不急」という言葉が示す思考様式だ。必要か不要か、目的に役立つかどうかという基準で、行為の価値が測られる。この論理は消費社会とも結びつき、贅沢や浪費といった、目的からはみ出る経験を否定する方向へと社会を導く。
しかし本書は、浪費や贅沢を単なる無駄とは捉えない。食べることを栄養摂取に還元できないように、人間の生には目的を超える余剰があり、そこにこそ充実や豊かさがあると論じられる。
さらに議論は、政治と行政管理の違いへと進む。行政は目的合理的に問題を処理するが、政治は本来、手段と目的の連関から自由な活動を含んでいる。ベンヤミンが区別した「目的のある政治的ゼネスト」と、「純粋な手段としてのプロレタリア的ゼネスト」、あるいはプラトンが語った「真剣に遊ぶ」という発想を紹介し、その対照を示している。
この本を読むことで得られる最大の収穫は、「目的は疑ってよいものだ」という視点だろう。目的を持つこと自体が悪いのではない。しかし、目的が立てられた瞬間に、手段や犠牲が正当化されてしまう危険があることを、私たちはあまりにも忘れがちだ。
また、自由を「何かを選べること」や「意志の問題」としてではなく、「行為が目的や動機を超え出る可能性」として捉え直す点も重要だ。遊び、芸術、対話、政治的な関わり。そうした活動が持つ自由は、効率や成果の尺度では測れない。
さらに、民主主義が行政管理へと縮減されていく現代社会において、なぜ「無駄」や「不要不急」が必要なのか、その理由が思想的に説明される点も本書の特徴である。
『目的への抵抗』は、即効性のある答えを与えてくれる本ではない。むしろ、読めば読むほど、考える時間が必要になる。しかしだからこそ価値がある。
私たちは今、「効率的であること」「正しい目的にかなうこと」を求められ続けている。そのなかで、違和感を覚えても言葉にできない場面は多い。この本は、その違和感に輪郭を与え、「立ち止まって考えていい」という許可を与える。
何かを変えるためというよりも、世界によって自分が変えられすぎないために読む本。不要不急を切り捨てる社会に対して、「それでもなお、目的からはみ出る生を生きたい」と考える人にこそ、手に取ってほしい一冊である。