前回は走り出すためのアレコレを書きましたが、この話をした時の友人の反応は「マジ面倒くさ!」でした。まあ、色々と手間のかかるです。読者のみなさんも、この時点ですでにお腹一杯だと思いますが、料理で言えばアペタイザーが出てきたところ。メインディッシュはずっと先です。

さて、世の中には「道具が好きな人」と「道具なんてどうでもいい人」という2種類の人間が存在します。前者は、道具に何らかの思い入れがあるタイプ。例えば、玄関に置いてある靴ベラ一つにも、素材や色、長さ、握り具合など、ひとつひとつに好みやこだわりがあって、自ら選び抜いたものを使いたいと思っている人でしょう。しかし後者は、靴ベラとして機能していればどんなものでも構いません。はて、その違いは何処から来るのでしょう?

「道具の年取り」という行事や、絵巻物に登場する「神や精霊が道具に宿った付喪神」をご存じでしょうか。これらには、古くから人々が道具を大切にし、愛情を注いできた証が残されています。いささか大げさかもしれませんが、私が「道具」という言葉から受ける印象は、たとえれば300万年前のアウストラロピテクスから人へと連なる叡智の実。深く芳醇な文化の香りがします。一方、カタカナで書いた「ツール」はどうでしょう。私が「ツール」から思い浮かぶのはカーナビ。自分が行きたい場所へ正確に導いてくれる便利なツールですが、それ以上でも以下でもない。そこには使う人の思いや感情が寄り添える「懐の深さ」は存在しません。

たしかに、スムーズに目的を達した時の快感は格別で、そのために道具を使うのは間違いではありません。しかし道具好きの人は、気持ちよく目的だけを果たしさえすればいいかというと、そうではない。使う道具を並べている時からワクワク、使っている過程はなお楽しく、さらに道具の後片付けだって嬉々としてできるという人種なのです。つまり道具を使うとき、手段として使う人には得られないほどの多種類の快感を得ることができる、もしくは得たい人なのではないでしょうか。たとえば、こんな風に。

持った時の感触、重さ、手触り(触覚)……ラチェット、カメラ、ゴルフクラブ
機能を突き詰めた形、みてくれ(視覚)……飛行機、船、車、バイク、靴、スーツ
機能するときの道具がたてる音(聴覚)……エンジン、機械式時計、タイプライター
単一や複合した素材の出す匂い(嗅覚)……万年筆、ノート、鞄、机、椅子

注)一度に複数の感覚に訴えかける道具は少なくありません。

おそらく道具そのものに興味を持たない人たちは、道具を「目的を果たす手段」と捉えているので、出来るだけ簡単に、間違えることなく、効率よく終わらせたいというわけです。可能であれば、後片付けもやりたくないし、取り出した場所に道具をしまうことさえ面倒くさい。そういう人にとって、「道具の手入れ」なんて想像を絶する行為でしょう。

今回は「道具好きかそうでないか」について書いてきましたが、これはつまり、旧車との付き合いを面倒な「手間」だと思うか、深い車との「繋がり」だと捉えられるかということと同じ。自分がどちらのタイプかを考えれば、あなたが旧車に向いているかどうか判断できるかもしれません。もしあなたがホームセンターの道具売り場で瞳孔がキランと輝くタイプでしたら、63%の確率で旧車向き。私と似た感覚の持ち主である可能性は高いです。
(……これはあくまで個人の感想で、感じ方には個人差があります)

水瀬 涼介ソリューションサービスチームリーダー

投稿者プロフィール

頭のなかにある景色を言葉にしていく楽しさを真花さんに教わり、
「カタチとして残るもの」へのあこがれを抱いてマイカのメンバーに加わった。

趣味は愛する旧車のメンテナンス。
愛車は1971年式のFIAT500-L

●これまでの主な仕事
外資系物流業界に長く従事。システム部、キーアカウント、4PLなど社内のあらゆる部署を経験したオールラウンダー。

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